■憲法第2章第9条 戦争の放棄 条文 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない ※私の終戦 8月11日の久留米空襲、罹災続いて終戦。頭の中は混乱しっぱなしでした。今だって どんな気持ちだったかわかりません。 ただ 11日からの夏休みも防空壕で過ごせるようにと、机など持込み、電燈を引いてもらっていた 矢先、8日の筑紫野駅を襲ったB29・艦載機によつて,学徒動員で西鉄に勤務していた姉が亡くなったのです それからが大変でした。遺体引取りも敵機来襲の中安置された、川原まで、父と隣組の かた達が連れに行って下さいました。 家に着いたのは夜中。ローソクも立てられず、線香を短く折ってのお通夜、 11日は3日参りでお寺まで・・・帰り着くと家は跡形も無く、 気が付いたときは、母は妹を乗せた乳母車、私は、お寺の大布団を抱えていました。 それからは、どうせ避難するならと、野宿をしました。 終戦まで3・4日でしたが私の一生の内で一番長かった日です 親子寄り添って、一生懸命、勝つことのみを、信じて過ごしたことは なかったと思います。今は懐かしく思い出して居ます その両親も姉の所に行き、馬鹿げた戦争の事、話しているでしょう。 可哀相な姉、一度も楽しい思いが出来なかった姉、それが、犬死でなかった事を 祈りたいです。 その為にはこのような犠牲者を作ってはいけないのです。 思い出は私だけで充分です。 ☆体験させないで下さい。 憲法が改悪されないことを、願います ■これは8月15日の思い出として同窓会誌にコメントした文です。少し訂正しました。
by piko4438
| 2006-05-03 16:59
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Comments(20)
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gotenn17 at 2006-05-03 19:56
こんばんは! 5月3日憲法記念日、そして8月15日終戦記念日・・・戦争体験者の方たちの生の声・・・皆が耳を傾け戦争の残酷さ、悲しみを考えなくてはいけないことですよね。 母は上野の焼け野原を地獄絵のような中、歩いて家に帰ったことなど、よく幼い頃に聞かせてくれました。 父はあまり話したがらないです・・・想像を絶するような体験をしたのでしょうね。 pikoさん達の思いが祈りとなり伝わる事を自分自身も願います。
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うちは父の兄が戦死しています。父とはかなり歳が離れていて、一番下の弟だった父の為に祖父を説得して進学させてくれ、学資も出してくれたそうです。終戦後、復員して来るのを待っていたら戦友だったという方が訪ねて来て、初めて戦死を知ったらしいです。
母も汽車通学の途中で艦載機の機銃掃射を受けて、汽車がトンネルの中にたどり着いた時には、周りの人の何人かは血まみれになって死んでいたそうです。母は戦争中の話をすると、今でも泣いてしまいます。 人の命、人生を、国家が自由に弄ぶことが出来るような憲法の復活を 目論んでいる輩がおりますが、断乎として今の平和憲法を守るべきだと思います。
最近、気になったこと
本屋さんで、ふと見た本のタイトルが 「僕らの好きな戦艦大和」「僕らが好きなゼロ戦」でした。 なにか、寒々とした気持ちになりました。 この本の編集者は、どんな人物なんだろう? もちろん戦争体験もなく、おそらく戦争、軍事に関する知識も いい加減なものなのだろう、と感じました。 私は「戦艦大和」「零式艦上戦闘機」がどのような物であったか、 は書物を通して一通り、並の人より知っているつもりです。 しかし、「僕らの好きな○○○」とタイトルを付ける 編集者、出版社の考え方、気持ちは理解できません。
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piko4438 at 2006-05-04 06:13
■gotenn17様
その頃国民学校といった頃から、戦争が当たり前の時代を過ごして来ました 戦後、その時の先生から、[嘘教えてゴメンネ]と云われました。 子供の心では、何を如何解釈していいか判りません。 今後良いこと・悪いこと、含めて本当の事教えて欲しいと思います。 子供はそのまま鵜呑みしますので、・・・ 先生も犠牲者だったと思います。結婚相手の方を戦争で無くされました
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piko4438 at 2006-05-04 06:27
■vavi様
お若いとは思っていましたが 身内の方を亡くされていたのですね 私は戦中の話が出てくるドラマは見ません、見れないのです。 美化されたり、カラーだとなんとなく、ドラマと見てしまうのです。 その頃私の住んでいた久留米は軍都でした。連隊が、沢山あって 休みの頃、兵隊さんが、帰る家が遠い人は、町をウロウロされて いました。 私達は「兵隊さんありがとう」と大きな声で言っていました。 心の中は如何だったのかと、今なら少しはわかります 脱走兵も居ましたよ・・・憲兵が尋ねてきて・・・本当に恐ろしい世の中だったんですね その頃の言葉「壁に耳あり障子に目あり」両親も政策の批判は絶対していませんでした。
私の写真、三脚は使っていません。
使う方がいい場面もあるのでしょうが生来の不精者の上に、最近は頚椎症もあって重い物は極力持たないようにしています。 カメラも一眼レフより軽いコンパクトの方が出番が多いのです。
うちの父には戦死した兄(私からすれば伯父)からもらった形見があります。それは古い腕時計です。もう壊れて全く動きませんが、
私が子供の頃(妹が生まれた頃なので3歳か4歳の頃です)に、それを見つけて遊んでいたら、叱られた記憶があります。 その戦死した伯父のおかげで、父は田舎の貧しい漁師の家に生まれながら兄弟の中でただ一人大学までいきました。それで、母と知り合い 私と妹が生まれたのですから、私もその会ったことのない伯父に感謝しなければいけません。
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gotenn17 at 2006-05-04 09:08
おはようございます~! 虎キチではない、内側のVaviちゃんを垣間見たよな気がします。pikoさんのブログの効果ですね!笑
やはり大人が子供達に語り継ぎ教えていかなくてはいけないものだと、改めて痛感しました。 Vaviちゃん・・・本の矛盾・・・同感です。 映画で使われた戦艦大和がなんか観光地化していて、若い人達にはよく出来たでっかいプラモデル?みたいな感じで騒がれているようです。 その裏にある犠牲になった人達の想いを聴いて感じる人達もいると願いたいですね。 去年、長野にある「無言館」へ行ったことあります。 そこは、若くして戦争で散っていった、画家達の作品を展示していて、そしてその傍らに写真や家族への手紙が展示されています。 言葉ではいいようのない、胸に詰まるものがありました。 あっ、pikoさん、長くなりすみませ~~ん!
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piko4438 at 2006-05-04 13:21
♪ 大好きなお二人さん
お二人さんでも、私達の、いや戦争に巻き込まれた人の事 心から理解して下さって、思わず涙が出ました。このページ書いてよかったと 心底思いました。まだまだ私みたいな人達が大勢居られます。 8月6日頃になると、マスコミが上っ面(私にはそう見えます)だけ 経験者にマイク突きつけて・・・・ 時間切って話されるようなものでは有りません。 私にも時々言ってきますが、・・・ブログ開いて良かったです。 時々姉の追悼の意味でも、(思い出に)心を書きとめて置きたいと思っています 50年目の節目とか60年目の節目とか言っていますが、」私には節目は有りません。何時も姉が居ます。この平和は姉達のお陰と、わたし一人でも思い続けて行きます。 何回も云います。お二人さんに出逢って、本当に嬉しい。最高”””
憲法の事有り難うございます。私の叔父はグァムで餓死しました。お骨はなく箱の中に石一つでした。
戦後私も青空教室で勉強したり 身一つで引き揚げて来たり 苦労をしました。戦争は反対です。 ラジオで9条はあるのに自衛隊はなんですか。軍隊以外の何ものでもないと外国の記者が言ってましたが そうです。日本は戦争をしてはなりません。9条はそのままに!!二十七日に「改憲反対の会」で バラエティコンサートをします。小郡文化会館2時。誰でも出場可能。どうぞ
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dontlookback2006 at 2006-05-04 18:19
僕の両親も、戦争体験者です。その当時は大分だったので、原爆には合わなかったようですが、pikoさんの体験談のような話は子供の頃によく聞いていました。
僕のような戦後の恵まれた時代に生まれた若者には、戦争がどんなに 悲惨で地獄だったのかは、何千回体験者から話を聞こうとも、その実際の恐怖を100%理解することは物理的には出来ません。 でも、自分にとって大切な両親、大切な兄弟、大切な友人・恋人、子供達がどんなに世界中ではいまだに戦争が絶えることなく続いています。
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dontlookback2006 at 2006-05-04 18:51
すみませんm(__)m、上記↑書いているときに間違って送信ボタンを押してしまい、文章が変な形で途中になってしまいました。。
上記最後の2行分を取り消して、その次からを書き直します。↓ ・・・ でも、自分にとって大切な両親、大切な兄弟、大切な友人・恋人、大切な子供達が、あんな地獄の世界でもがき苦しむことを想像しただけで、やりきれない気持ちになります。 僕は広島なので小学生の低学年の頃から、平和学習は当たり前のように授業の一環として教育を受けました。 残念な事に世界中ではいまだに戦争が続いています。 戦争の原因には、宗教、人口の増加、政治・経済など、いろんな要素が複雑に絡んでいて、悲しいけど人類が存在している間は、この世から戦争が無くなる日は無いと思われます(無くなって欲しいけど!!)。 戦争の悲惨さを伝えることは、経験者がいなくなったら、悲しいかな自然と途中で途絶えてしまう。でも今自分達に出来ることは『今生きていることの素晴らしさに感謝し、命の尊さを次の世代へ伝えていくこと』だと思っています。 貴重な体験記、心に深く刻まれ、平和への思いが一段と強くなりました。 ありがとうございました。
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parsleym at 2006-05-04 22:16
こんばんは。世の中ゴールデンウィークと浮かれている中でこんなにココロに残る「ブログ」は初めてです。「憲法記念日」という事さえわすれてしまっているそんな中でpikoさんのブログに出会えたことを感謝します。国民の休日も日にちが変えられたりして心がどこかにいってしまったそんな気がして残念です。
「無言館」…近くなので訪ねてみたいと思っています。 また折に触れ貴重なお話きかせてくださいね。 私もpikoさんやお友達と知り合えてホントにうれしいです♪
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piko4438 at 2006-05-05 06:20
■daredaroさん
何時もお会いして居てもも、憲法のお話なんかしませんネ、戦争の話になると、それぞれ皆重い心の傷を持っておられます。 思い出として話すと、なんとなく、楽しい話している様になるのは、 何故だろうと何時も思います。 私達がそうですから、子供達に話してもその様に聞こえるのかもね 人間極限を体験すると、楽しいことに、置き換えるのでしょうか、 9条改悪されないよう、見守りましょう。
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piko4438 at 2006-05-05 06:31
■donntolookさん
お若いのにしっかりしたお気持ちお聞きして、本当に嬉しかったよ。 そうね・体験をどんなに聞いても、映画や、テレビの場面しか想像出来ないでしょう、 私達の心も風化して、あの時の悲壮感、あまり甦りません、 でも姉の事考える時は、どんな気持ちだったろうと、いろいろ思い巡らせます。15歳の姿しか、思い出せませんが・・・ 国民洗脳されて、それが悲しいとも、苦しいとも思わないまま逝っただろうと・・・
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piko4438 at 2006-05-05 16:47
■parsleymさま
心通じ合えて嬉しいです。 お若い方もそれなりに痛手を受けて居られる事が分かっただけでも、有意義な、記念日になりました。 gotennさんは無言館え行かれたらしいです。九州にも知覧に、特攻隊の記念館があります。行く機会がありませんが。是非行きたい所です。 そして、心から有難う、と言いたいです。
gotennちゃんの言うように、映画「男たちの大和」のロケに使われた戦艦「大和」の実物大のセットが尾道の観光名所になっていました。
私は偏屈なのかもわかりませんが、この映画をどれだけ人から奨められても見に行くことは出来ませんでした。またロケセットを見に行くこともしませんでした。 原作は読みました。主人公の一人が三重県出身者でしたから。 でも、どことなく戦争を美化している風に感じてなりませんでした。 「大和は美しいフネだった。青春を犠牲にして悔いのないフネだった。」 というフレーズに一番違和感を持ちました。青春を(この場合、人生、人の生命)を犠牲にして悔いのない・・・・って、どういう意味なんでしょう? 子供の頃、プラモデル世代だった私は軍艦も、戦闘機も作りました。 戦艦「長門」も空母「赤城」も作りました、でも戦艦「大和」は持っていませんでした。買ってもらえませんでした。他の物は、買ってくれた父でしたが 戦艦「大和」は「うん」とは言ってくれませんでした。 高校生になってから、初めて理由を知りました。 私がまだ会ったことのない伯父は「大和」に乗組み、戦死したのです。
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piko4438 at 2006-05-06 06:15
■vaviさま
iこんなにゆっくり、戦争の事思い出させて下さって、有難う御座います。 体験者でも、いろいろの面から、見る機会もなくまして船のこと良く判りませんでした。ただその頃云っていたB29はボーイング社の飛行機と後で 知りなんとなく、利用したくないなと思いました。 お父さんの心大事にして下さい。兄弟・姉妹は親と異なる繋がりがあります。喧嘩していた姉妹はなおさらです。 本当に有難う御座いました。・・
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piko4438 at 2006-05-06 09:51
☆心に残る沢山のコメント有難う御座いました。
このまま、穏やかに過ごせますように、祈っています。
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whitececile at 2006-05-06 10:26
ただいまです。。。
八ヶ岳からもどってきました。。 こちらの記事を読んで、、涙がでそうになりました・・・ 普段はこういうお話はされずにいても、、心に悲しみを背負っていること、 多くの皆が忘れてはいけませんね。 ‘‘僕らのすきな戦艦大和‘‘・・・・Vaviさんやみなさんのコメントに同感です。美化し風化してはいけないことだと思います。 沖縄のひめゆり部隊の若い女子学生が、どんな思いで、亡くなっていったのかをおもうと・・・涙がでて、今でも・・・ さくらんぼうを美味しそうといえる私たちは、絶対にまちがいをおかしては いけませんね。
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