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☆終戦の日
8月15日 水曜 29度 74%

終戦記念日  あの日は朝から暑かった!

ラジオの放送も聞きましたが ガーガー ピーピーで
さっぱり解らず

大人の方々が大声で泣かれてたのが記憶に有るだけです

その前大量のビラが吹雪の様に空に舞ってました

母がもう今夜からゆっくり寝れる  
と言ったのを覚えてます 

その時は11日の久留米空襲で我が家が焼けて
 伯父の家に2晩ほどお世話に
成ってました~~

後10日早ければ 姉も機銃掃射にやられ死なずに済んだでしょう
  家も焼かれず  終戦後のあのホームレスの様な
生活もしなくて良かったでしょう~~

でもそれ以上に戦場で大切な  大切な方達を亡くされなくて良かったでしょね

やはりこの様な事はあっては成らないのです

今日だけじゃなく 全世界の人たちが考えるべき事です~

オリンピックの精神で
世界中に平和が来ますように  小さい叫びです

今年は思いでも書く時間が無く終戦の日を迎えてしまいました


ブログをお休みしてた時
我が庭は  秋の準備中でした~~
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by piko4438 | 2012-08-15 10:22 | 忘れまじ(war) | Comments(4)
☆ 8月8日 
今年のこの日を姉は如何思ってるでしょうか

その頃の私達は死と言う事をあまり意識して無かった様に思います
もちろん子供でしたが、学校ではお国の為にが合言葉でしたから~

今思うと両親はどのように思い考えてたのでしょうか?
息子を戦争で亡くされた方も、ご主人を兵隊に採られた方も

お国の為が合言葉・・事実そう思ってました
8月15日を迎えるまでは~~

此のブログを開設する時ゼッタイ書き残そう私が経験したことを
と思ってました

毎年思い出すのは幼い頭で感じ見た事で進歩はありません
それにいろいろの周囲からの情報が後でインプットされた事も
あるかも知れません

だけど私が経験したことは紛れもない事実です
文章がまずくて思いの半分も表す事は出来ませんが
毎年書くうちに戦争は何時までも深い傷跡が残ると言う事です
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今年は思いがけない話を聞き~ 又不思議な巡り合わせを
感じました

今教室に毛糸を持って来て頂いてる方は40年来のお付き合いです
春夏 新製品の糸 新刊の本 編み機と随分お世話になってます

先日今季最後の集金に来られた時、元気に成られましたね
と言いましたら

自分は此れで3回命拾いをした運の良い男です
と言われ~~

終戦の年の8月8日お友達に誘われて福岡に行くところだった
けど、何故か行きたくなくて友達だけ行かれたそうです

その友達が筑紫の駅で機銃掃射に遭われ亡くなられた
話をされました~40年以上お付き合いしてたのに

初めて聞きました  絶句!  その電車で姉は無くなったのです

その姉もお国の為の学徒動員でした
今空の上から 

日本はバカやってるね
私達の犠牲は何だったのだろうかと思ってるのじゃないでしょうか

原爆で亡くなられた方達の御魂も休まらない事でしょう
情けない・・ 

「生かされなかった極秘情報」もこのころの親は
何処からともなく伝わってくる情報を把握してたようです
だから光に当たらないと良いと言う事で防空壕を作り換えてました

関連記事はカテゴリ 戦争体験に書いてます
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by piko4438 | 2011-08-08 09:18 | 忘れまじ(war) | Comments(16)
☆おひさま
朝のドラマです

15分に振り回されてあまりみませんが  今回は
1回目で嵌ったというか、私の記憶とだぶって なんとなく見てます

先生の陽子ちゃん
私が1年 5年 6年 と受け持って頂いた itoo先生と同じです
奈良師範を出られてました。此の先生のおかげで少し理数科が好きになりました
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5年6年では薙刀の指導がありました
此の先生はお友達のお姉さんでした
着物に袴です   私たちは体操服です

上段の構え 中段の構え 下段の構え と突きしか覚えてませんが
突き!の時のエイ!という声を何回もやらされました
 イヤー!と言ったらOKでした
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その頃は男子が中学校 女子は女学校に入試があります
試験を受けないときは高等小学校と言うのがありました

それで組からは10人余り県立の女学校に行きました
そこで本は先輩から譲って頂くのです

我が家の近所で先輩は二人だけでしたのでその方から父が
頼んで教科書を譲って頂きました

それが終戦と共に墨で塗りつぶしました
飛び飛びの文章で何が何だか解りません

そのうち本?と言っても新聞紙みたいな物が
配布され自分たちで切って閉じました

その時から英語も習い始めアメリカと言う国を勉強しました
その人を竹槍で突いて殺す練習させられていたんですよ~~

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終戦後の厳しかった事はドラマでもありますね
食糧難です~~

母の手助けで、野の草を料理したり 少しの小麦粉で
ドーナツ作ったりしてました

それが今少しでも土地があると野菜を植えたり
食べ物を無駄にしない事が悲しいほど身についてます

これは悲しくは無いですよね 生きていく上の手段を親から学んだと思ってます

1番嬉しかった事は母が焼け跡にトマトを作ってくれた事です
その味は今でも残ってます

もうあの味は無いでしょうね~~

  最後に我が家のトマト今年はミニじゃなく大玉です
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そうそう
暫くして3年4年を受け持って頂いた
higuti先生にお会いした時 あの時は嘘を教えてごめんねと言われました

此の先生も許婚の方を戦争で亡くされました

私にとってはドラマじゃないのです



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by piko4438 | 2011-07-01 11:54 | 忘れまじ(war) | Comments(4)
☆罹災者に思う!
4月23日 雨のち曇り

久しぶりに雨になりました
私にとっては慈雨でしたが~

今日は罹災したころの事を思い出してます

原発事故現場で、食事も、寝る場所さえも無い過酷な状況の中
其処で働いて居られる方を診察されてるテレビを見ました

遠い昔にタイムスリップしたような錯覚と云うか
その頃の自分の姿が鮮明に思い出されて来ました

あの終戦直後、家も無く、食べ物も、着物も無く
姉は銃撃で亡くなり、雨、露しのぐ所も無く、親子5人

野宿をしてました~此の時は11日~~
終戦は15日です

そしたら伯父さんが、自分の家に来てくれ
近所の人から、兄さん達は焼け出されて困って居られるのに
知らん顔で、何考えとるか、と云われ、

5寸釘打たれるように辛い、ど~ぞ我が家え来て下さいと
と迎えに来られました

伯父はその頃百姓でコメも作ってました
その日は、今も目に浮かびますピカピカの暖かい真っ白いご飯を食べました

次の日はお米を少し頂いて、お粥にして食べました

次の日は伯父さん達は早くご飯を食べてたらしくて
私達は何食べたか記憶はありません


父が帰ろうと言ったのは終戦の日です
もうB29も来んだろうからと焼け跡に帰って来ました
畳の上に休んだのは3日位でした

子供心にどんな畳の上より、焼け跡のバラック小屋が
御殿のようでした

今罹災されて借り家に居られる方の心が、痛いように解ります
子供だけでも、気兼ねなくそうですよね~~

早く落ち着いた生活が出来ますようにしっかり祈ってます

終戦後は電気も点きませんでした、
暖かいご飯も食べれませんでした
家族も姉が亡くなりました、それでもめげずに頑張って来れました

貴女方も私みたいに思い出として残られると思いますが、
あの苦難に勝る苦難は有りません、生きてれば楽しい事がいっぱいです

めげずに頑張って下さい

なんでこんな事思い出したかと云うと
原子炉で働いて居られる方達と、特攻隊とがダブリました

今頃また遠い昔を思い出して涙が止まりません
悲しいです~~

取りとめもない事を書きましたが、罹災された方々が
早く落ち着いた生活に戻れますように願ってます
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by piko4438 | 2011-04-23 13:57 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆探し物は~~
3月21日 雨
ささやかな救援物資も届き始めてほっとしてます

何を如何するか、本当に落ち着かない1週間でした

送った物が郵便局を通じてだったのでスムーズにいっても1週間
は掛かると言われ慌てました

送料無料に心が動き、その分応援に廻しました
局の方も追跡して下さって、本当にご迷惑おかけしました~

でも品物より、あなた達を思ってる家族が居る事を知らせたかったのです


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落ち着いた処でテプラー探しです
処が出てきたものに驚き又途中下車

戦中戦後の紙幣と、小銭・・

見てるとその時の情景まで思い出されて~~

如何しても思い出せない紙幣、
なんでこんなに、多分私のお小遣い、
でも買う品が無かったのですよね~~

お解りの方は教えて下さい
焼跡から出てきた大正時代の銅貨もありました

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戦前はお小使いは1日2銭でした
お祭りの時10銭頂いて、大金持ちになった気分でした

我が家は川魚の卸し小売をしてましたので
金庫(当時は手で開ける)には・・沢山入ってました

時々黙って頂いて(泥棒です)
見つかって魚と一緒に泉水に入れられた記憶が有ります

その話をすると兄は冷蔵庫に入れられたそうです

その頃の我が家の冷蔵庫は大人が立って入れる位大きくて
上が水溜め  中には氷が入ってました。

大きく成ってその話をすると母はそんなに覚えてるなら
しなかったが良かったと言ってました

されて良かったです、悪い事は悪いという体罰ですよね
近所の方が、止めに入って助けてくれました~~

今の体罰とは少し違うと思います

女姉妹が多かったので、父は優しかったです

 その冷蔵庫が戦災で残りその中に食料を入れていた母の知恵
 でしばらくはホームレスで頑張りました

 
震災が起こった今、このお金が目に触れた、不思議な事です

私達も皆様の支えで頑張って来れました、今がその頃より随分良いと思います

今頑張ら無ければ何時頑張る・・と何時も自分にそう言い聞かせて
来ました、、

今は皆さまも応援もされてます、私を含め熱しやく冷めやすい
日本人 これからの心の支援が大切と思います、頑張りましょうよ~~

 ご返事遅れてすみません
 少しお待ち下さいね 

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by piko4438 | 2011-03-21 13:08 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆妹と携帯メール
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昨日の事です 携帯でのメール
電話が早いのにお互いボケ防止でメール交換してます

(ちなみに私は4女  妹は7女末っ子です)

今日は何の日?

長崎原爆の日

それは明日、ハーちゃんが狙撃された日でしょうが・・

送信して思い出した~
その情景しっかり今でも語れるよ  カンカン日照りの時だった
母ちゃんがいような声出して走って貴女(ウフフ敬語です)に何か聞いてた・・


その時妹は3~4歳ぐらいだった押し車に乗せられて
畑に行ってた母とお昼頃になったので帰ってくる途中でした

母から聞かれた言葉
何人見えてた でした

あの時置き去りにされて~~貴女が連れて帰ったの?

そうよ私が押して帰ったよ

そうそう思い出した母ちゃんはいざとなると私を
ほったらかして逃げてた・・
お風呂でも・・お寺でも

姉ちゃんが居なかったら私如何なってたろうか?


このような事を延々とメールしてます

勿論後から刷り込まれた情報もあるのでしょうが
うろ覚えとは言いながら、時には鮮明に覚えてます

今も末っ子 幾つになっても私は母親代わりのような
状態です

まだ1人で何もできない子供達も沢山孤児となり久留米駅に寝泊まりしてました
私達姉妹も11日家が戦災に会ってからは・・・

ホームレス状態でした

今の聖マリヤ病院の横が畑で、側にお墓がありました
如何云う訳か其のお墓の横に寝泊まりしてました
真夏と言うのに敵機が来る度布団をかぶって

その事も覚えてたようです・・誰かハーちゃんのお骨持ってたね
とも言いました。

幼児でもこのようにはっきり覚えてるんです
怖い事・・嬉しい事 悲しい事・・

驚くような事も私が話せば 記憶の山から出て来そうです
まだまだ逢ってお話しとこうねと言ってメール終わりました

物事一か所から見ずに遠く離れて見たり、私みたいに
あの時よりましだと思う事も、一つの生き方と思います

今の私は大変ですが、これも良い思い出となる事でしょう
気負わず成り行き任せで、楽しく過ごすよう心がけてます。


原爆・・日本はそのお陰でより以上の犠牲者が出なかった
    これはアメリカの1部分の人の考えです

※タグ war に毎年書いてます 重複してるかも
知れませんが、歳とともに忘れかけてます、今年ももう少し書けたら
と思い書き始めると、やはり同じ所に行きつきます・・・
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by piko4438 | 2010-08-09 10:36 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆はないちもんめ~~♬
8月6日~~サイレンの音で慌てて東に向かって黙とうしました


その道はやっとリヤカーの通る道です

夕方4時過ぎになると勉強を終えた子供たちが
夕食前のひと時何処からともなく集まって来ます

上は小学4年位まで~~

今日は10人いるから  《はないちもんめしようよ》年長さんが号令掛けると

5人ずつ手をつなぎ 向き合って並びます

故郷こいいしや~~はないちもんめ~~
母ちゃんが居らんはないちもんめ~~~と歌いながら、

前に進んだり後ろに下がったりしながら歌います
なんでも良いのです、即歌にして遊んでました
しばらくして、子取りです

ムッちゃんが欲しいはないちもんめ(何時も可愛いムッちゃんが
一番に欲しがられます
ピコちゃんが欲しいとは なかなか言われません・・・

子取りが始まったら代表がじゃんけんでです
勝ったら欲しいその子を頂くのです

時として、最後に1人残ると泣き出したりして・・・

そしたら次の遊び、ハンカチ取り 缶けり 陣取り
そのうち家から  ごはんよ~~と呼ばれ

また明日ねと帰って行きます

今思うと何も道具はなくても面白い遊びを次々
見つけて楽しんでました~~~

よその子も、家の子もみんな近所で見てました

その子たちも8月11日の空襲で皆居なくなりました
家も、学校も焼夷弾に遣られ

未だに会えません・・・
戦争は駄目とは誰でも知ってます

でも世界の何処かで私みたいな子供たちが
増えてるのも現実です~~

未だに私は 涙流してこれを書いてます
私も含めた大人達、なんとか成りませんか~~~

  原爆の日に書きたくなりました。
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by piko4438 | 2010-08-06 11:23 | 忘れまじ(war) | Comments(6)
☆8月15日
12時2人でテレビに向かって黙とう・・・
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8日~15日まで
一生で一番長くて、如何過ごしたか、今日は何日か 心も体も自制心がなく
流れに、漂ってた気分です

今にして思えば、いろいろの情報でそうだったかなと思うんですが
私自身はどう思って、どう行動したか、まったく記憶が無いのです

ただ焼け跡に、小屋建てて、住んでた時、そばを缶ビール飲みながら
通って行った進駐軍(その時はそう呼んでました)の記憶は

怖いのと、近所のおじさんが、カクレロ!といった言葉が今も記憶に残ってます
後にその駐留軍の電話交換をするとは夢にも思ってませんでいた

昨日の新聞に
お母様が裁縫箱にお米を詰めて婚家先に、送り出された
話が乗ってました

私と同じ針箱です・・結婚準備に母が用意した針箱と絎け台
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これで1か月位食事が出来たそうです

幸い私は食料も落ち着いてましたので一応針と糸は持って来ました
この糸は国防色と言って軍から罹災者に配給があった糸です

多分軍服を縫われてたんだと思います
今でも手では切れないくらいとっても強い糸です

私達は曲がりなりにも3度の食事が出来てます
その頃食事もままならず亡くなられた方、これも戦争犠牲者ですよね

一握りの人のため犠牲になるのは私達、市民です
戦争を絶対しない人を選びましょうね
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by piko4438 | 2009-08-15 14:29 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆自己嫌悪・・・
8月16日 また雨です
この頃はゲリラ驟雨と言うそうで、パソコン開けると雷です

昨日から自己嫌悪に陥ってます
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夕方クロネコ宅急便が届きました
開けると此れです・・・
昨日偶然見た坂井ひろ子さんご夫婦の本です
テレビを見たのも偶然でした。是非欲しいと思ってたら
送ってきました・・・一瞬如何してかと怖くなりました・・・

思い当たるのは去年取材を受け怒った人みたいです
私も少しトラウマになってました。

毎年8月になるとかかって来てた電話と思ったんです
それでブログを見てくださいと、言ったら、あんな話じゃないと
言われました・・・

それでお断りした方だと、思い当たりました。
ブログの事が書いてあります。

人との言葉受け取り方・・・またまた失敗です
幾つになっても、ハヤトチリのオッチョコチョイは治りません

もしこのブログをご覧になって居られたら
本当にゴメンナサイ、そして有り難う御座いました
何時までも大切にして読ませて頂きます。

追記 この時電車を運転してた高良隊の方(当時16歳)
    この方の心の傷は私達の想像をはるか超える物です
    今回も会えなかったそうですが、そっとしてあげたいと
    思います

口で言う事は容易いことです。それも言えずに悩み苦しまれて居られる
方が沢山居られる事をこの事件一つとっても思い知らされました

何回も言いますこんな経験は私達で終わらせて下さい

※筑紫れくいえむ
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by piko4438 | 2008-08-16 15:55 | 忘れまじ(war) | Comments(10)
☆平成20年8月15日
8月15日 終戦の日 正午二人で黙祷しました
私の郷は、姉も亡くなり、義兄が一人住んでます

63年前父も母も壮年期、姉妹も沢山居て、日本が勝つ事を信じて
お腹すかしながら、頑張ってました。

我が家の屋根は戦災で焼けた瓦がまだ乗ってます、終戦後建てた処は
投げても割れない瓦を子供達で集めて建てた物です

貧しくても家の建つ喜びは、それはもう どんな家より素晴らしい御殿でした
周囲焼け野が原に、当時の旭屋デパートがはるかかなたに見えてました

その所も雨漏りが酷くなったので壊すそうです。
そうしてだんだん戦争の思い出も遠のいて行きます

でも忘れない様になんて世間では報道されてますが、忘れた事はありませんよ
思い出でもありません、いつも心に生きずいてます

去年も思い出を何か語って下さいとTELがありましたので
知りたかったらブログを見てくださいと言ったら、「こんなんじゃない」
と言われました????

それっきりどんな電話にも返事しません
戦争体験は型に填まったもんではありません
心の傷です・・・あまりほじくってほしくありません
その方は若い方でした、何を伝えたかったんでしょう・・・・

偶然テレビで8月8日筑紫駅での艦載機の襲撃の談話が
あってました。坂井さんと言うご夫婦の方が本に纏められたそうです

その時何故アメリカの飛行機が西鉄電車を狙ったか・・・
(姉がその電車で犠牲になりました、学徒動員でした)
の話しに、2kぐらい先に軍の地下壕が掘られていたそうで
初耳です・・・こうしてまだまだ驚くような事実が出てきます

102歳の方は赤紙持って家に行くのがとっても辛かった話をされてました
まだまだ苦しんで居られます。その方が悪いのじゃないのに・・・

こんな話し聞くたび一番苦しかったのは何にも知らない、知らされない
私達です・・・・

まだまだ世界中にはいつ果てるともない戦いが次々と起こってます
我欲のための犠牲としか思われません

今日の日に思う事 世界中から戦いがなくなるように
闘いはオリンピックで・・・

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by piko4438 | 2008-08-15 13:59 | 忘れまじ(war) | Comments(12)