☆ 戦争体験談 

7月22日 金曜 湿度の高い  晴れ
今朝も草取り ドツト君の足場を良くしようと
今迄砂利入れていたところに  人工芝を敷くつもりです

術後と老齢 肉球に小石が入らない様敷いてた小砂利を取り草も取り
とドツトロードの整理  でも此の蒸し暑さ 減量には生るでしょうが
目が塩辛い 早々に上がって来ました


そこえ
近所の歯科医院から頼まれてた話

治療の時話してた姉の機銃掃射での死 を覚えて居られたのでしょう
今孫が戦争体験談を聞きたいと云ってます  良かったらとの事でした
佐賀放送に行って居られるとの事


もう去年が最後と思い福岡方面え何回も行き 当時の話をしそれを劇で表現されました
青田の中の惨劇 と云う劇です
戦後71年 もう当時の事をリアルに語られる方は殆んど周囲に居られません
それが最後とおもってました



  何時もの想いを 
     ☆肩から腹えと抜けし弾(タマ)
      最後の声を聞きたがる母~~

      母ちゃんと呼んで居なかっただろうか?
      それが口癖でした




  
ところが今居住する佐賀県の方からの依頼
其処で提案しました  現状はもうテレビ等でそれなりに御存じと思います

今私が伝えたいのはその頃の児童の話です 大人たちは戦いの話ですが
その後ろで飢えて 勉強する本も道具も無かった子等の事も伝え残すされてはと云いました

集団的自衛権  返せば 赤紙召集をイメージしてしまいます
それは私達戦争体験者の声として聞いて欲しい気もします

と云う訳で先ほど 姉の資料は歯科医院迄持って行ってきましたが
その方のお母様  お婆様 子供孫の事として受け止めては居られました

この様に誰かが云い伝え残して行って下されば
もつと平和は続くでしょう~
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by piko4438 | 2016-07-22 15:27 | 忘れまじ(war) | Comments(0)