カテゴリ:忘れまじ(war)( 27 )
☆又今年も書いてます
8月6日 昨夜の暑かったこと~~
10時に休んで2時間で切れる様にセットしてたクーラー

とうとう起きて又付けました
今雨です・・・・少し涼しくなるかな

$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$
  私「これくれると云ったじゃん」
   姉「やっぱしやらん

昭和20年待望の女学校に通りました
かねてから通ったらやると約束してた、16襞のスカートです

その頃は食料も 衣料も乏しく
着るものは姉から順々に下えお下がりです

でも四女の私に来る時はボロボロ で新しいものか、
すぐ上の姉から下がった物はラッキーです

そこでこの襞スカート とっても欲しかったのです
スカート穿くことさえできないご時世(ほとんどモンペ)でした

学校の制服はセーラーは黒の線  スカートは下から7cの位置に白線
これが憧れの服装でした

モンペの場合は4cの白のベルトです
戦争が激しくなると白は禁止状態

夏の上着は体操服です それも草色に染めて目立たない様に
してました

鉢巻は白、今思うとこれはそのままですね

此のスカート事件どうなったでしょう、結局騙されたのです
8日の日にその姉が機銃掃射で亡くなるまでは、恨んでました

その日もこのように蝉が遠くで鳴いてたようです
今は平和な我が庭で梅もどきに5匹見つけました

でも下手ですね2匹に逃げられました
f0003174_11312852.jpg


今日広島の式典を見ました
原爆の陰にも幾多の若い命が無くなってるのです

私の幼友達も11日久留米空襲の後 逢った人は居ません
皆どんな人生送られてるでしょうか・・・

今1番知りたい事です 幸せでしょうか?、大変だったですね・・・ 家族を亡くされて
如何されたでしょうね・・・私は元気でまだまだ体験書いてますよ
[PR]
by piko4438 | 2009-08-06 11:42 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆自己嫌悪・・・
8月16日 また雨です
この頃はゲリラ驟雨と言うそうで、パソコン開けると雷です

昨日から自己嫌悪に陥ってます
f0003174_15291217.jpg

夕方クロネコ宅急便が届きました
開けると此れです・・・
昨日偶然見た坂井ひろ子さんご夫婦の本です
テレビを見たのも偶然でした。是非欲しいと思ってたら
送ってきました・・・一瞬如何してかと怖くなりました・・・

思い当たるのは去年取材を受け怒った人みたいです
私も少しトラウマになってました。

毎年8月になるとかかって来てた電話と思ったんです
それでブログを見てくださいと、言ったら、あんな話じゃないと
言われました・・・

それでお断りした方だと、思い当たりました。
ブログの事が書いてあります。

人との言葉受け取り方・・・またまた失敗です
幾つになっても、ハヤトチリのオッチョコチョイは治りません

もしこのブログをご覧になって居られたら
本当にゴメンナサイ、そして有り難う御座いました
何時までも大切にして読ませて頂きます。

追記 この時電車を運転してた高良隊の方(当時16歳)
    この方の心の傷は私達の想像をはるか超える物です
    今回も会えなかったそうですが、そっとしてあげたいと
    思います

口で言う事は容易いことです。それも言えずに悩み苦しまれて居られる
方が沢山居られる事をこの事件一つとっても思い知らされました

何回も言いますこんな経験は私達で終わらせて下さい

※筑紫れくいえむ
[PR]
by piko4438 | 2008-08-16 15:55 | 忘れまじ(war) | Comments(10)
☆平成20年8月15日
8月15日 終戦の日 正午二人で黙祷しました
私の郷は、姉も亡くなり、義兄が一人住んでます

63年前父も母も壮年期、姉妹も沢山居て、日本が勝つ事を信じて
お腹すかしながら、頑張ってました。

我が家の屋根は戦災で焼けた瓦がまだ乗ってます、終戦後建てた処は
投げても割れない瓦を子供達で集めて建てた物です

貧しくても家の建つ喜びは、それはもう どんな家より素晴らしい御殿でした
周囲焼け野が原に、当時の旭屋デパートがはるかかなたに見えてました

その所も雨漏りが酷くなったので壊すそうです。
そうしてだんだん戦争の思い出も遠のいて行きます

でも忘れない様になんて世間では報道されてますが、忘れた事はありませんよ
思い出でもありません、いつも心に生きずいてます

去年も思い出を何か語って下さいとTELがありましたので
知りたかったらブログを見てくださいと言ったら、「こんなんじゃない」
と言われました????

それっきりどんな電話にも返事しません
戦争体験は型に填まったもんではありません
心の傷です・・・あまりほじくってほしくありません
その方は若い方でした、何を伝えたかったんでしょう・・・・

偶然テレビで8月8日筑紫駅での艦載機の襲撃の談話が
あってました。坂井さんと言うご夫婦の方が本に纏められたそうです

その時何故アメリカの飛行機が西鉄電車を狙ったか・・・
(姉がその電車で犠牲になりました、学徒動員でした)
の話しに、2kぐらい先に軍の地下壕が掘られていたそうで
初耳です・・・こうしてまだまだ驚くような事実が出てきます

102歳の方は赤紙持って家に行くのがとっても辛かった話をされてました
まだまだ苦しんで居られます。その方が悪いのじゃないのに・・・

こんな話し聞くたび一番苦しかったのは何にも知らない、知らされない
私達です・・・・

まだまだ世界中にはいつ果てるともない戦いが次々と起こってます
我欲のための犠牲としか思われません

今日の日に思う事 世界中から戦いがなくなるように
闘いはオリンピックで・・・

[PR]
by piko4438 | 2008-08-15 13:59 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
☆千の鶴になって・・・
7月6日 梅雨明けたかなと思わせるお晴天です
      でも風が湿ってます・・・

朝起きたら首が廻らない・・・
勿論金がないから・?・

千羽鶴を3000枚用意しなければと言う、生協のお誘いに
諸手を上げて、と言うより少しでも平和の手助けにと
50枚引き受けました・・・

1週間 毎晩少しづつ折るつもりでした、処が7センチ角、ツイツイ
頑張って・・・30枚、一気に 歳ですね~~~

夏が近づくと戦争体験が悲しく思い出されます
でもその苦しさも体験された方たちがだんだん少なくなってきました。

それでもまだまだ、私達と同じ思いをしてる子供達、家族が後を絶ちません
如何して善悪が解らないのか、悲しいですね・・・

f0003174_16171758.jpg

f0003174_16134831.jpg


千の鶴になって世界に平和を呼びかけて下さい。
今晩も後20枚折りましょう

ちなみに募集した時点で5000枚集まったそうです
コツコツ普段から折られてた鶴も参加です
私もお見舞い、お祝い用に折ってました、それも参加させましょうね
[PR]
by piko4438 | 2008-07-06 16:07 | 忘れまじ(war) | Comments(18)
☆終戦記念日
8月15日 猛暑

終戦記念日 何を記念するんでしょう・・・
何時も引っかかります。

巷では高校野球が、熱戦を繰り広げてます。
昨日の佐賀と、三重のたたかい(あえてひらがなで書きます)
まさに青春のバクハツでしたね。
若者はこうじゃなくちゃ・・・

私達の先輩と言っても、今の中学生くらいです。
ゲートルも満足に巻けないのに、学徒動員で、戦地に行った子
予科練に憬れた子、特攻隊として、行った子・・
毎日、見送りに行きました。
 一番心に残ってる言葉
  「行きます」  
此言葉を残して

行って来ます、じゃ無いのです。目的地に行くだけ、帰る家は無いと思え と言う
教育を受けました。
それが当たり前の事だったんです。

8月15日を境に、急転しました。親達、も私達も戸惑うばかりでした
家も学校も焼けて、小学校の友達、近所の遊び友達、居ません
小学校の同窓会しても、集まったのは、先生2名、生徒5名でした。
このようにして、私達の過去は切れているんです。

2度と繰り返さないで、下さい。
そして高校野球が続いていくことを、切に願って居ます。

※8月15日、この大戦で、犠牲になられた方の、御霊に手を合わせ
心安らかに、見守って居てください、決してあなた達の事は
忘れません・・・感謝あるのみです。心の祈念日
[PR]
by piko4438 | 2007-08-15 11:31 | 忘れまじ(war) | Comments(19)
☆久留米空襲(家が焼かれた!)
8月11日 酷暑 あの日もそうでした。

8月に入り、戦争体験を書こうか、どうか、随分迷いました。
去年は、そのために立ち上げたブログだからと、思い出すまま書いたのですが、
皆様の反応にとても勇気付けられました。

ドラマでしか知らない人が増えてるなか、お父さん、お母さんのお話にも
しっかと受け止められてる事が判りました。

でもこれが、孫 曾孫の世代になったら・・・
どのように受け止められるか、その証拠に、まだまだ
世界中何処かで、一握りの指導者の下、私達と同じ経験を、積み重ねてます。

テレビも、映画もカラーで放映されると、ただのドラマと思えるのは、私だけでしょうか・
悲しいことに、心の中をどのように表現していいかも判りません。

今は廻りに体験者が居られますので、話も通じます。
でも何処かの総理みたいに、ドラマの主人公気取りでは、
やはり人間飢えて見ないと、究極の痛みは、
解らないんでは、なんて僻んでも見たくなります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
夕方我が家から、広沢虎造の浪曲が~~~声の主は姉です。
風呂に入ると、口三味線で、語り始めるのです・・・

道行く人も立ち止まって 又は~ちゃんじゃろう!!としばし家の前のバンコ(縁台)
に腰掛、世間話をしていかれます。そんな平和な時も有りました。

でも戦局が、厳しくなると、皆そそくさと急ぎ足、戦争の話はタブー
口数もドンドン少なくなって、ただ何かに追いかけられてるような毎日でした。

親子でも、壁に耳あり、障子に目あり、とか云って、本当の話は知りませんでした。
この頃、玉砕と言う言葉も知りました。

母は男の子が居ないから、姉が戦闘隊員として、西鉄に勤めに行ったことを誇りに
してたようです。艦載機で撃たれて、亡くなった時は、戦死と言われ、それでも
国のために、亡くなったんだと、思ってたようです。
本当の心は、今でも解りません。

そのように、男でも病気で、兵隊に行かれないと、こっそり隠れて生活されてました。
オカシイ時代でした。それも後から解ったんです。オカシイということが、
国の為この言葉は、私達には魔力でした。

6日広島原爆・8日姉の戦死・9日長崎原爆・11日久留米空襲で罹災・15日終戦短期間で一生分の体験をしたようです。

一庶民の戦争体験をタグWARに書いてます。宜しかったらご覧下さい
[PR]
by piko4438 | 2007-08-11 11:16 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
12月8日
ブログを立ち上げたら・・・私が1番に書きたかったのは、心のキズと申しましょうか、戦時中の思い出です。

最初は同窓会からのテーマーで終戦の思い出でした。ハガキ2枚に書き送りましたところ発起人の目に留まり、次々と思い出すまま投稿したのが同窓会誌に載ったのをはじめ、鳥栖すみかにも載せていただきました。

それで戦争体験者として いかに戦争が虚しいものか、時・折々心の引き出しを開けながら、書き伝えたいと思います。

で第1回目を12月8日とします。
 その日は小学3年の時でした。日本がアメリカという大国と戦争始めたのです。大東亜戦争と言いました。

映画の話をよくしてくれてた父は日露戦争に従軍したそうで、行軍の時転んで竹が膝に刺さり傷が残っていました。でもなんだか楽しそうに話していた記憶があります。その父がこの戦争は必ず勝つ 日露戦争も勝ったんだからと、私達子供に話していました。

こんな事がありました。シンガポール(昭南島)が陥落した時 組に2個ボールが配給になりました。シンガポールを指せた人にあげると言われドキドキして私の番を待ったんですが、前のひとが当ててしまつて、がっかりしたものです。今もボールを見るとその時の情景を思い出します。
欲しがりません勝つまでは、と子供達までも呪文のように唱えて不自由な暮らしをf0003174_21441071.jpgしていました。

そんな時も過ぎ私達が6年生になる頃は、戦局も怪しくなり、本土空襲が激しくなりました。
学校から帰るときは上級生が下級生を引率して、町内の入り口まで来ると母達が迎えに来てくれました。丁度今の子供たちと同じですね。・・・何時の世も子供たちが犠牲にならなきゃならないのでしょうか。

世界中の子供たちが 早く安心して暮らせる世の中になる事を心から願っています。
[PR]
by piko4438 | 2005-12-08 21:47 | 忘れまじ(war) | Comments(5)