カテゴリ:忘れまじ(war)( 26 )
☆ 忘れまじ あの日あの頃
71年目の夏 NO2

  
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   筑紫子供会の先生方 毎年暑い中 大変でございましょう
   去年 参加させて頂き  感動しました

   少なくとも此の子等には 戦争が~~~如何言うものかはしっかりと
   受け止めて居てくれると思います



   戦後71年  本当にこんな暮らしがあったんだと 今は当たり前のように
   暮らしてますが  国の為  家族の為と  犠牲に成られた皆様がたを 
   忘れてはいけないと思います

   今も何処かで子等が  家族が  明日も解らぬ暮らしをしてます
   あの頃の私達です  


   慾は云いません  普通に暮らしたいです~
   姉が居たら  今の世の中  驚くでしょうね~~ 

   1度見せたいです 何と云うでしょうか?
   


    2回に分けて書きましたが 今回の資料が送って来た時は 心底 ジ~~ンと胸に
    来る物がありました 

    此の方々も学徒動員です  私の先輩たちも 体育館で軍需作業をしてたみたいです
    何を作ってたかは 知りませんでした 秘密 と言われると  誰も云いません
    随って聞く事も出来ない時代でした~~


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※その頃
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by piko4438 | 2016-08-06 12:00 | 忘れまじ(war) | Comments(4)
☆ 忘れまじ あの日あの頃
71年目の夏  NO 1
 
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  私も初めて知りました
  この様な先生が居られた事を~~



  いつの世も犠牲になるのは 無力な 子等  私共です
  しっかり考えて 貴重な体験  お話に耳を傾けるのも 良い時でしょう


  先日 佐賀テレビの方が いろいろ本人の方からお聞きしたいけど
  もうお話しして下さる方 々が高齢に成られ  施設などに入って居られると
  聞く事も  ままならないと言われてました~~


  私達も幼い時の事ですが  勉強も普通に出来なかった事は覚えて居ります
  お若方々も  出来るだけ  聞く耳持ち 戦争がいかに悲惨で無駄な事か
  しっかり受け継いで行かれる事を望んでます







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※そうでしょうか
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by piko4438 | 2016-08-06 00:01 | 忘れまじ(war) | Comments(0)
☆ 戦争体験談 
7月22日 金曜 湿度の高い  晴れ
今朝も草取り ドツト君の足場を良くしようと
今迄砂利入れていたところに  人工芝を敷くつもりです

術後と老齢 肉球に小石が入らない様敷いてた小砂利を取り草も取り
とドツトロードの整理  でも此の蒸し暑さ 減量には生るでしょうが
目が塩辛い 早々に上がって来ました


そこえ
近所の歯科医院から頼まれてた話

治療の時話してた姉の機銃掃射での死 を覚えて居られたのでしょう
今孫が戦争体験談を聞きたいと云ってます  良かったらとの事でした
佐賀放送に行って居られるとの事


もう去年が最後と思い福岡方面え何回も行き 当時の話をしそれを劇で表現されました
青田の中の惨劇 と云う劇です
戦後71年 もう当時の事をリアルに語られる方は殆んど周囲に居られません
それが最後とおもってました



  何時もの想いを 
     ☆肩から腹えと抜けし弾(タマ)
      最後の声を聞きたがる母~~

      母ちゃんと呼んで居なかっただろうか?
      それが口癖でした




  
ところが今居住する佐賀県の方からの依頼
其処で提案しました  現状はもうテレビ等でそれなりに御存じと思います

今私が伝えたいのはその頃の児童の話です 大人たちは戦いの話ですが
その後ろで飢えて 勉強する本も道具も無かった子等の事も伝え残すされてはと云いました

集団的自衛権  返せば 赤紙召集をイメージしてしまいます
それは私達戦争体験者の声として聞いて欲しい気もします

と云う訳で先ほど 姉の資料は歯科医院迄持って行ってきましたが
その方のお母様  お婆様 子供孫の事として受け止めては居られました

この様に誰かが云い伝え残して行って下されば
もつと平和は続くでしょう~
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by piko4438 | 2016-07-22 15:27 | 忘れまじ(war) | Comments(0)
☆あの日あの時
2015年 8月15日  晴 気温31度

節目の終戦70年
あの日 あの時 
夏休みは10日間でしたので 学校に行かねば成らない日でしたが、

8日 姉の死 7日お葬式  11日我が家の焼夷弾による焼失

姉は2度焼かれました  お寺にお礼参りに行き帰ると家は跡かたも無く
母は姉の御骨を探しました   暑い熱い中から不思議に少しのヒビだけで
御骨の壺がそのまますとんと台から落ちた状態で有ったそうで~~


それから3日間今の久留米の聖マリアの傍の畑
其処に野菜を作ってました  横はお墓
何故だか両親は此処には爆弾は落ちないと言って
親子5人野宿をしてました

あの暑いのにお寺から被って来た大布団をやはり被って寝てました
其処は土手上に寝ててもいつの間にか下に寝てました~

私は着物に包んだ姉の御骨を離さず抱えてました

3日目父の弟が 自分の家に来てくれ  近所から
兄さん達は野宿されとるじゃろ  あんたがたが駄目なら
家に来てもろてもよか と云いに来られ自分が困るので
来てくれと云われ叔父の家に行きました

1日目  目の覚めるような白ご飯を頂きました
今日から此処は百姓さんだからお米のご飯が食べられると思いましたよ

でも米を見たのはそれっきり~~~おじさん達がご飯食べられてるのを
見た事もありませんでした

それが15日 朝ピンク  シロ キイロ のビラ  紙切れが空から
降って来ました

誰かが拾って読むと 日本は負けたと書いてあると言うのです
ビラなんかに惑わされない様にと皆それらを見ようとはしませんでした


暫くして天満宮さんで放送があるので聞きに行くようにと町内の方が
云われ 村中の人が境内に集まりました


12時それも後で知りました  誰も時計なんか持ってませんから
天皇陛下の声  放送だと  私には雑音だけしか聞こえず

前の人が日本が負けたと大声で言われたので  負けた?
実感は無かった様に思います

そう言えば朝から Bが来んねとは云ってましたが

父は弟の事で子供たちが可哀想だから 焼け跡に
バラックを建てると私達を連れて帰りました


近所は借家の方々でしたので誰も帰っては来られず 防空壕の中から
出した材木でバラックを建ててくれました
天国です

野宿  肩身の狭い思いをした叔父の家  其処から見ると
精いっぱい背伸びも出来大声で話も出来る~~

贅沢から貧乏は苦しいですが  貧乏から此処は御殿  今は
どん底見ましたので 戦争も無い極楽浄土とは此処でしょうね~~


毎年書き込んでます 初めて来られる方の為
終戦の日の 思い出です 

  体験者の少なくなった今 生きてる限り 
  又思い出す限り  云い伝えて行かねばと思ってます



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by piko4438 | 2015-08-15 17:34 | 忘れまじ(war) | Comments(0)
☆ 慰霊祭に参加して~~
8月9日 日曜  晴  室温 34・5度
8月8日 もうあれから70年経つのです~~
今年は特別の想いで慰霊祭に行って参りました
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とにかく暑い日でした 人の座られた跡が冷たく感じる様な
でも幼稚園児から大人までお焼香は延々と続きました

此れで不慮の死を遂げられた方々の魂も休まると思います
待合室も市の管理で立派な囲いも出来てました

語り継いで行かれる事でしょう~~
日本中の方々 国の為と云われて亡くなられた方々貴方がたのお陰で
平和に暮らさせて頂いて居ります

此の平和が何時までも続きますように 重ねて貴方がたのお陰で
安らかにお休み下さい~~

今日は長崎原爆  明後日11日は久留米の我が家が焼けた日です
でも後は振り返りません  又同じ轍を踏まない様 見守って行きましょう~~

戦後70年良く生き延びて来られたと思って居ります

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少しでも私の戦争体験を書き残そうと始めたブログでした
AITO先生に偶然出会い  今迄どれだけ熱心に生徒教育に携わって来られたか
世の中この様な素敵な先生が居られます 


 aito先生お疲れさまでした 送り迎えまで遣って頂き 最後は裸足で歩きまわって居られましたね
しっかり見てましたよ 先生に習ったお子達はきっと信念を持った素敵なな大人に
成長されて行かれるでしょうね   
 
 
 戦後の教育が悪いと言われるM代議士も
居られますが 貴方の様な方が私は不思議です~~
何を見て何を感じて来られたのでしょうか~可愛そうです と私は思ってますが!


最後に まだまだ残暑厳しいと思います お元気でお過ごし下さい
 有り難うございました  
 
                                             8月9日  16時

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by piko4438 | 2015-08-09 16:00 | 忘れまじ(war) | Comments(18)
☆  第29回8・6平和の集い
8月8日 土曜  酷暑  35度

今回は筑紫地区平和の集いに参加させて頂きました
私達の体験談から 筑紫駅の出来ごと等を劇にされてました 
子供等の熱演に感激しました
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 セーラー服にモンペ 鉢巻き姿 姉を見る様でした 
 14~5歳で運転  車掌などしてました 今の中学生ですよね~~

それでも銃撃があつて難を逃れた運転手(中学3年生)は憲兵から連れて
行かれたそうで~~子供といえども容赦しなかったのが 同じ国の兵隊さんですよ
少しでも上官はそれは恐ろしいものでした~~

 
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  本から拝借しました(今日8月8日頂きました)
  pikoブログの戦争体験記 姉の事も此の本に出して頂いてます~~

 
今日8日 筑紫駅に行ってきました~~
猛暑  酷暑  人の座られた跡が冷たく感じる様でした
汗は出ながら  乾燥してる様で  最高の暑さと思いましたが
姉が待ってると思うと行かずにはおれませんでした

当時の筑紫駅のホーム待ち合い室
新しく移転永久保存され 市を上げての慰霊祭に参加させて頂きました
あの日もこの様に暑かったのかな~~
空襲の敵機襲来に逃げまどいながら暑さも感じては無かった様な~
明日書きます  慣れない電車移動で疲れました



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平和の集いえのお誘い
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by piko4438 | 2015-08-08 17:55 | 忘れまじ(war) | Comments(10)
☆ 台風11号 無事でしたが~
此処は無事でしたが
  政界も大荒れ  とうとう安全保障政策関連法案衆議院通過~
 
  
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 我が家から南東の方角です  まるでパレットの中  状態
 不気味な色も混じり合ってました~~
 それに青空も見え~不思議な現象
         国の前途を占う様な  空でした
  
  昨日1通の手紙が来ました

先日学徒動員で亡くなった姉の事を話に行った学校からです
  この様に 戦争の悲惨さを語り継ごうと頑張って居られる
  学校(地域)もあります  其処から 子供等が劇を作り上げてます
  ご覧下さい と云う招待でした~~

  
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  此の子等が 国の安全の為と云われ徴兵されないという保証があるのでしょうか
  今は絶対ないと 云われてますが~~その時の教育を受けた身には
  信用はされません~此れも悲しい性でしょうか  abcdeさん貴方は飢えを御存じない!


 話はがらりと変わりまして

 初体験 何時も珍しいものを贈ってくれる姪から 今回は此れです
 世の中の進歩は凄い  負けじと着いて行きます

 
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by piko4438 | 2015-07-17 13:33 | 忘れまじ(war) | Comments(16)
☆ 8月8日のレクイエム
6月1日 月曜  曇り 気温30度

今日は 蒸し暑い1日です

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此の日のため
あの日  あの時を  思い起こし
 資料の読み直し  をしておりました

勿論忘れては居ません  だから思い出でも有りません
何時も一緒の姉です  でもその時の体験をお話しすると言う事は
書くことよりも難しい問題でした

気持ちをその時に持って行くため  コメント欄も閉じ
人伝手に集めた (紙きれの端まで 持ってます)
それらを繰り返し読んで居りました

そのようにしてでも当時の事は闇の中 と云うかかすみがかかり
どれが本当かは未だ解りません
それほど国内が乱れ  収集が付かなくなっていたと言う事です

西日本鉄道誌(通称西鉄)の資料もあいまいです
その為こうして少しでも経験者  体験者の御話を聞かれて
筑紫子供会で毎年劇をされ  後世に伝えて下さってます

今回は少しでもそのお役に立ちたいと思いましたが何しろ子供の頃の事です
昨日の方々はすべて経験者 体験された方が来られてました

これが真実と思います
一人の方は弾が足を貫通したと言われ  その傷跡も見せて下さいました
でも浅かったのでこうして歩けますと~~

書けばまだまだ真実が解ると思いますが 
こうして当事者から語り継がれて行けるのも時間の問題と思います
私は今からも思い出す限り  当時の状況を含めて此処に書き残して
行きたいと思って居ります
その為に開いたブログですから~~

一緒に講演された方の艦載機の模型です
B29の護衛機だそうで  これが2~3機で機銃掃射をしたそうです
当時太刀洗飛行場に勤務してたそうですが 飛行機を作る仕事だったけど
材料が無かったと言われてました
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その時筑紫駅の前で自転車預かりをされてた方の御話
絵を書いて来て下さいました  当時6歳だったそうで  他の事は記憶に
無いけど此れだけは しっかり覚えてると言われてました
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タグはWARです

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by piko4438 | 2015-06-01 17:15 | 忘れまじ(war) | Comments(4)
☆ 語り継ごう
9月14日 日曜 晴れ  24度

8月のある日 
 福岡県 教職員組合 筑紫支部から
 以前にもお伺いしましたが と言われ  自分は退職しましたが
 今子供等に戦争とは 集団自衛権とは等 戦争体験者のお話をまとめてます
 良かったら 私のブログから取って良いでしょうかと依頼を受けました

 もちろん私が此のブログを立ち上げたのも其処にあるのです
 喜んで読み聞かせ 語り継いで下さいと言って居りました

 一昨日その原稿が届き 不味いブログを原稿用紙7枚に集約されてました
 添削をと言われましたが 私の文章のまずさにまず汗 これは市発行の栖に載せた分です

 直すにには全部書き変えたい気分~~まーそちらで何とかなさるでしょう

私の友達の文(戦争に付いて あの日あの時 
 先ず思いだして下さることが第1  書いて下さることが第2 であったとは申しませんが
 第3に伝える事も又重要な事で有れば やはり書いておいて頂きたかったと思います
 と云う葉書を頂きました


 そこでブログに残せば 自分の気持ちの整理も付くと毎年8月になると
 書いてました
 今回思いがけなく  伝えて行って下さるとの事 ブログ冥利に付きます

 
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※この様なお話は毎年8月6日頃より終戦記念日ごろまでに
 入って来ます

 同じことを繰り返してるようですが その都度やはり姉の事になると
 涙が出ます  若くして逝ったその姿  その時の気持ちを知りたいです

 国の政策で 私達は それに従い それが正しいと思い込まされてました
 教育とは 育てながら教え込む  たとえそれが国のと云うかトップの考えで
 正しい事だと信じて疑わない 子供時代を過ごしました


 今こう言う事を自由に書ける時代が来るとは信じてませんでした
 暫くは 父達も国の政策批判はしてませんでしたね
 日露戦争に行った父ですよ  子供の頃は時代小説気分で聞いてました

 今のお子たちも私共の話は時代小説でしょうね~~
 でも確かにこの様な時代が有り 政策に振り回されて泣くのは 私達です

 言論の自由 と云う言葉も過去形にならぬよう
 この様な時代も有ったと言う事を認識して居て下さい



 

返信ピコより
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by piko4438 | 2014-09-14 09:55 | 忘れまじ(war) | Comments(22)
☆ 久留米空襲 昭和20年 8月11日
思い出 
1945 8月 11日

それは
長崎原爆投下3日後 
亡くなった姉をお寺に納めるか、と云う話し合いの結果
不慮の死だったから  まだまだ聞きつけてお参りされる方があろうと
遺骨は家に置いたまま  母 姉 末の妹 従姉と お寺に御礼参りに行ってました

お昼近く グラマンの音  久留米市内方面を見ると
短冊が舞い散るごとく キラキラと輝きながら  ふわふわ(そんな感じでした)
落ちてました

そうしてるうちに お寺の前をで羽釜にお位牌さんを入れ 裸足で 
子供をおんぶして逃げて来られてました

その時までは我が家も焼夷弾で燃えてるとは知らず
暫くはお寺から北の方の竹やぶに逃げてました

騒ぎも収まった処で 5人国道3号経由で帰りました
途中は何の変化も無く明治通り迄来ますと もう~~~
一面何にもない茶色のがれきのみ  母は家に残してきた父と妹を
夕方近くまで探して回りました

これは以前此のブログに書いてますので省略します

今年はお墓参りは誰も行けないだろうと11日午前一人でお参りに行きました
自分の郷が 墓守も居ない状態になろうとは想像してませんでした

お参りも済んだ時サイレンが???
初めて久留米で慰霊祭が有ってる事を知りました

  久留米市小頭町公園

家族には案内が来てたと思いますが 家からの連絡も無く
知りませんでした  此の時金丸小学校(出身校です)が最初に
爆撃を受けたそうです お友達も今何処に如何してるか知るすべもありません

随って  小学校の同窓生 今迄にお会いしたのは二~三人です
戦争とは 思い出までも消してしまいます 逢いたい人にも会えず
居所も解りません  何方が亡くなったかさえも解りません

こう言う悲しい思い出は私達だけで充分です 
後一週間戦争が終結 してたら  私達の人生もこれよりは良かったかも

八月の思い出は 消えることなく 残るのは悲しみのみです


 もしも姉の御礼参りにお寺に行って無かったら
 今此処に私は居たでしょうか

 最初は警戒警報 に驚き  空襲警報に 怯えてましたが
 敵機来襲には空を見上げてました

 でも夜照明弾が落ちたと驚きました
 月の光より明るくなるのですから
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by piko4438 | 2014-08-13 11:33 | 忘れまじ(war)