戦争と平和(8月に思うこと
昭和20年8月15日 久留米にて終戦
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家も 着物も 教科書も無くした私たちは親子5人六反畑、
今の聖マリヤの北に野宿してました。
他に2~3家族居られたようです。
少し斜めになってた、土地で下にござを敷き、休んでました。夜中に目を覚ますと
お骨を抱えたまま下のほうに滑り落ちてます。何回か這い上がっては寝てました。

昼は焼け跡の片付け、川魚屋だった家には大きな、生け簀とコンクリートの冷蔵庫
だけが残ってました。
陶器類は生け簀の中に沈めてましたので、茶碗類は少しありました。
冷蔵庫 (この頃は氷で冷やしてました)の中に1斗缶1杯の米も母が入れてたらしく、
焦げもせづ残ってました。

2・3日すると大隈の叔父が、家に来てくれと呼びに来ました。
兄達を野宿なんかさせてと、近所の人から責められたそうです。
私達は何処に居ても危ないのだから、誰にも迷惑かけないようにと、思って居たのに・・
その頃は昼夜をとわず空襲が激しくなって、外を歩くのも怖いくらいでした。
その点此処は安全でした。

それから叔父の家に落ち着いたものの、百姓といえど食料も乏しく
自分達だけ食べるわけも出来ず、だんだん子供同士険悪に成って来ました。

15日朝から警報も鳴らず、不気味な静けさでした。
そのうち天満宮の境内に大人達が集まり始めました。
私も付いていくと、誰が持って来たのかラジオが置いてあり、
今から大事な放送があるから聞くようにとの事でした。
ラジオはただピーピーガーガー云うだけで何も判りません。
処が一人の人が「日本が負けたと天皇陛下のお声だった」と言われたのです。
今でこそ繰り返し放送されたので、判りますが、
どうしてあれが聞き取れたか不思議でたまりません。変なことが心に残ってます。

私達も空襲が無いならと、焼け跡に防空壕から出した材木でバラックを父が建てました。
材木は少しありましたが、トタンは何処からか拾って来たのでしょう。冷蔵庫を壁にして、
御殿が出来ました。本当に御殿と思いました。
電気も無い、建具もない六畳位の家でしたが、誰に気兼ねも無く寝れたのですから・・・

近所はお迎えさん以外は借家だったらしく二度と戻っては来られませんでした。
で外地からの引揚者、尋ね人のお世話が大変でした。

罹災者に地下足袋とか糸 布の配給があります。それを食料に換え飢えを凌ぎました。
一番の思い出は、地下足袋をミカンに換えたときです。朝 昼 晩 と食べまくり、
手も足も黄色くなり歯がキイキイ云ったのには困りました。

その頃来たのが枕崎台風です、素人が作った家はひとたまりも有りません、
あっという間に倒壊です。私達子供は長持ちの中に入れられました。
着物は姉の死で、疎開先から持って来てたので焼けましたが、
長持ちと布団は助かっていたのです。一畳くらいの大きさですので入れます、
でも時々空気を入れてもらわないと・・・母達はずぶぬれに成りながら守ってくれました。

この時も御主人亡くされた会長の奥さんが呼びに来て下さいました。
苦しい時に助けられます。ありがたいです。
誰でも大変なのに助け合いの心は無くなっては居ませんでした。

この頃の親達はお国の為と子供 主人を送り出し、自分達は銃後の守りと、
今思えば馬鹿げた事を必死でやっておりました。
竹槍訓練、焼夷弾の消し方、バケツリレーで水掛訓練、等・・
誰が言ったか焼夷弾が天井に引っかかると危ないので、
と殆んどの家では天井板剥がしてました。

誰も気が付かなかったんでしょか、それとも逆らえなかったのか、
国全体が可笑しかったんでは、・・・人間魚雷。人間爆弾。
考えても恐ろしいことを、国はやってきたのです。
国民にも、外国にも、争いの無いように出来ないものでしょうか。
もう少し冷静になって下さい。誰でも争いはいやですから
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3回に分けて書きましたが書くほどに思い出が沸騰して来ます。
今年は何時もより反戦の放送が多い様に思います。
世界がまた大きな災いの渦に飲み込まれない事を祈ってひとまず終わります。
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by piko4438 | 2006-08-14 22:59 | Comments(20)
Commented by gotenn17 at 2006-08-14 23:59
以前、「男たちの大和」を映画で観たとき劇中の台詞で「死に方用意!」と発した言葉になぜか愕然としてしまいました。 戦争映画は苦手ですが戦争を知らないものとしては何かが伝わってきます。 そしてピコさんのように文章を書いて伝える・・・どんな形にせよ、語ることの大切さを戦争を知らない者達がしっかりと受け止め平和のために心を正さないといけないのだと思います。 明日は終戦記念日・・・静かに祈りを捧げたいものです。 
Commented by mintohanakikyo at 2006-08-15 02:15
起きてます。ドンの都合です。
PCのトップページに第三次大戦なんて言う文字が出ています。恐ろしい言葉です。メディアが拍車をかけてるとしか思えません!pikoさんの文章を読ませてやりたい、戦争絶対反対です。
Commented by Vavi at 2006-08-15 09:31 x
門トスさん、遊びに来てくれました。
大変鉄道好きな方ですね。
私の鉄道ファンとしての知識は、20年前のものですから最近のことは
地元のこと以外はあまり知りません。
また、鉄道模型もやっておられるようです。
私もかつて模型はやっていましたが、今は大半が友人の子供にあげてしまいました。自分に子供でもいれば、残しておいたのでしょうけど。
Commented by ko-ko-ro3 at 2006-08-15 11:04
書いても書いても書き足りないのでは・・と思いながら、ずっ~と読ませていただきました・・
母以外から戦争について生の声を聞くのは初めてだったのでpikoさんの体験・・衝撃的でした・・
(もちろんテレビで体験者の話を聞くことはありましたが・・現実としてなかなか伝わってこなかったので・・)
私が戦争について最初に考えた、というか思い知ったというか・・は30数年前、学生時代に九州旅行の帰り、一緒だった友が急に広島へ寄りたいと言い出したので途中下車して原爆ドームへ行きました。
急のことで下調べもしなかったので右も左も解らず道行く人に場所を尋ねました・・4~5人聞いたでしょうか~でも・・誰も教えてくれないのです・・ちょうど朝の出勤時間だから?・・とブツブツ言いながら・・
しばらくして思いました・・観光気分で行ってもらっちゃ困る・・そう言われているんだと・・急に恥ずかしくなってしまいました。今でも、その時の事を思い出すと恥ずかしさがよみがえってきます・・
Commented by ko-ko-ro3 at 2006-08-15 11:05
※一度では送信できなかったので・・続きです・・

また、5年ほど前に沖縄のひめゆりの塔へ行った時の事・・
修学旅行の高校生達が展示室でキャッキャ大騒ぎしているんですね~
しかも先生まで一緒に・・これには回りの人たちもビックリ・・
もちろん係りの人に注意されていましたが・・あの日(広島でのこと)の自分と同じです・・
あまりにも悲惨な姿に気が滅入ってしまいますが、いくら戦争を知らない世代でも事実として受け止め・・こんなことは二度と起してはならないこと
若い人たちが学んでほしいです・・
Commented by piko4438 at 2006-08-15 16:16
gotennさまやつと一区切りと思いましたが、子供の頃の気持ちをそのまま伝えるのが、いかに大変か解りました。
お母様方が「そんなもんじゃなかった」と言われる気持ち解ります
これは話す方と聞く方の気持ちが一緒にならなけりゃ、
でも死にたくない時、親のため、恋人の為死ねますか?
その様に思うようにして、出征して行かれたと思います。
心のキャッチボール有難う
Commented by piko4438 at 2006-08-15 16:23
minntoちゃん相変われず夜中だね
体 大丈夫?ドンちゃんも早く寝なさいよ。言葉かけたら解るかもよ。
今日の靖国参拝もあまり騒ぎすぎと思います。マスコミが・・・
靖国に祭られると言って出て行った人も大勢居ます。親もそれを誇りに、
悲しみを、堪えていたのです。
私にはなんとも云えません。戦犯も特定の人意外は、
遣らされていたのかも・・・(私は貝に成りたい)のように
Commented by piko4438 at 2006-08-15 16:32
vaviさんお相手ご苦労さんです。
楽しみに見てます。mukuに何回も読んで聞かせ、当時を思い出させる事に成功してます。
時々言うことが変わりますが、それはお愛嬌・・・
門トスさんも大変喜んでおられます。
ボチボチで良いです、今後ともよろしく お願いします。
Commented by piko4438 at 2006-08-15 16:44
kokoroさんがこんなに考えて下さって、書いた甲斐があったと言うものです。人間極致に立たされると、恐怖とか慾とかなくなります。
私は姉の死で、戦争の裏側を見た気持ちです。

貴女はしつかり自分を見ておられます。これを通じて、
地に足が着いてないなんて云わせないよ。
何事にも信念を持たれていると思いました。
この記事を書かないと、心の中まで解らなかったかも・・・
出会いに感謝してます。今後ともよろしくお願いします。
Commented by whitececile at 2006-08-15 20:09
今日はお墓に亡き父を送っていきました。
遅くなってのコメントです。いままでのPさんの戦争中の体験のコメント、胸を揺さぶられる思いで読ませていただきました。おそらく、書いても書いても書ききれない思いでしょう。こちらを読ませていただいて当時を想像することしかできないのコメントになってしまった私ですが・・
酷い時代を生き抜いてこられたのですね。学徒動員のため、小学6年生は疎開先から戻されて、空襲にあい、命を落とされたこと、、なんと痛ましいことか・・TVで先ほどみました。
人は皆、自分の命も、他人の命もおろそかにしてはいけませんね。国の為という大儀名文のために・・可哀想でなりません。
世界の国々で今もやまない戦いがなくなる日を祈ります。

・・意義のあるブログ記事をよく書いてくれました。
Commented by kun9145 at 2006-08-15 22:01
今日、「対馬丸 さようなら沖縄」の映画を家族一緒に見ました。
小さな子供達が、「かわいそう・・」と言いながら一生懸命に見入っていました。
身近に体験者はいなくて、戦争の恐ろしさに付いては
TVや映画ででしか知る事は出来ませんでした・・・が、この子達の未来のためにも
争いのない平和な国を残さなくては・・・と思います。
Commented by Vavi at 2006-08-16 01:44 x
今日は終戦の日。
小学校以来の親友の家で、バーベキューをしながら
「戦争と平和を考える会」を開催しました。
参加者は、全員戦後生まれの戦争を知らない者ばかりです。
ほとんどは、いつも顔を合わせる居酒屋仲間、またその家族ですが。
あまりにも戦争の悲惨さ、無情さ、残忍さを知らない若い世代が多いということを知りました。
例えば、「A級戦犯」を「永久戦犯」と解釈している者もいます。
これでは、これからの日本、世界はどうなって行くのか・・・・
私も含めて、もちろん戦争を知らない世代ですが、私たちはまだ父、母、お爺ちゃん、お婆ちゃんから戦争の話を聞いて育ちましたが、今の子供たちはそれがないのです。
「そんな昔話、聞きたくもない」という者もいます。
しかし、これでいいわけありません!
やはり、戦争の話は世代を越えて語り継いでいってこそ、平和の礎になっていくのでしょう。
これから、毎年8月15日を、この「戦争と平和を考える会」にしていこうと
いうことになりました。
どこまで、やれるかわかりませんが、こういう草の根活動も無駄ではないと思います。
Commented by Vavi at 2006-08-16 01:58 x
今夜はその後、いつもの居酒屋に場所を移して(その居酒屋のマスター夫婦もメンバーで、今夜は営業は休止)、いつもは阪神Tigersの試合を中継している壁の大スクリーンに映画「男たちの大和」を上映して、解散しました。
この映画、私は劇場では見ませんでした。伯父が戦艦大和で戦死しており、見る気持ちにはなれなかったのです。前にも書いたと思いますが、
私も子供の頃はプラモデルで軍艦も飛行機も作りました。でも、戦艦大和だけは作っていません。父が、買ってくれませんでした。
「大和はあかん。ほかの船にしなさい」と何度言われたことか・・・・。
「男たちの大和」は原作は読みましたが、劇場で映画を見るつもりはありませんでした。
それが、図らずも今夜、いつもの居酒屋で見ることになりました。
戦闘シーンは、悲惨な凄惨なものでしたが、実際はあんな程度では当然なかったはずです。映画では、所詮二時間と少しのものですが、本当の戦争は何年も続くのです。終戦になって、戦争は終結しても、家族、人々の思いは終わらないのですから。

映画そのものは、よく出来た映画だと思いました。
決して、戦争を美化するような内容ではありませんでした。
Commented by DAREDAROU at 2006-08-16 09:49 x
テレビやラジオで終戦特集があります。前まではわざと避けていましたが今年は汗を流しながら深夜まで見ました。
カナダに2週間ホームステイに行く孫娘に戦争の頃のおばあちゃんの暮らしを話してやりました。
なにを思ったか「おばあちゃん ごめんね」と言いました。生まれ合わせが良かったのですよね。
そういえば私たちの世代は子供でしたから 母や父は大変でした。父は孫文の写真が講堂から無くなったとき 校長の責任だと3日間 調べられました。母はその時覚悟したそうです。幸い放免されましたが。
私たちの青空学校  ソ連兵が来ると息を詰めて隠れた事。
いざという時にはこれを・・・と脱脂綿にヨードチンキを染ませて持たせられました。何の事かわかりませんでしたが SEIRI の印でした。
Commented by piko4438 at 2006-08-16 15:58
♩Cさま
毎回見て下さつて、感謝してます。お父様は体験なさってましたか?
親から聞いてもあまりピント来ない年代だったでしょうね・・・
少しでも当時の子供の生活が解って下さっただけでも嬉しいです。
戦後の生活がもっと大変でした。
これは罹災にあってない方も一緒です。戦争がドレダケ多くの人の生活を狂わせるか・・今の平和が続く事を念じてます。
Commented by piko4438 at 2006-08-16 16:05
♩kunさま
対馬丸の事本当に可哀相です。疎開させなきゃ良かったと、思われたことでしょうね。あの頃は何処が良いか、誰でも判りませんでした。
日本中が狂っていたんですね。
いつも犠牲になるのは何も知らされてない、人達です。
いつも何処かで戦いがあってます。
これ以上悲しい思い出を作らせないで下さい。
Commented by piko4438 at 2006-08-16 16:25
♩vaviさま
いつも心に沁みるコメント有難う御座います。
たとえ子供が居なくても、未来にこんな事があっては、悲しいです。

不景気になると「戦争でも無いかな」と言う者が居ます。冗談でも腹が立ちます。
自分の兄弟、子供達が、戦場に出されても良いんですかね。
その証拠に、北朝鮮に兵器になると判っているのを輸出したと、
報じてましたね・・・本当にこんな人たちが居るかぎり、平和は
砂の上の城と思われ、恐ろしいです。

又、今朝は20台の青少年達の反戦活動も報じられてました。
お祖父さんが、二人殺した、話をその青年にされたらしいです。
心に響いた何かを掴んだんでしょう。
しっかりした考えを持った青年でした。
未来は明るい そう信じて行きましょう
Commented by piko4438 at 2006-08-16 16:39
♩daredarouさま
わりと苦労も無く帰られたと聞いてましたので、・・・
ご両親の苦労は大変なものだったんですね。私も両親のお陰で
戦災の悲惨な現場は見なくて済みました。
もし見てたら、気がおかしくなってたかも知れません。
迎えの、おばあちゃんは、生き火葬だったらしいです。
幸い久留米はお昼でしたので、死者、怪我人は少なかったんですが、
其処の家族にはたった一人の大事な人です。

それにしても、お孫さん何か感じ取られましたね。
思わず涙が出ました。
拙い文で、恥ずかしかったんですが、一生懸命書きました。
皆様のコメントと一緒に永久保存したいと思います。
有難う御座いました。
Commented by minton at 2006-08-19 15:57 x
初めまして。mintonです。
ぼくのブログに書き込みをしていただきありがとうございました。
戦争体験のない僕ですが、子孫に伝えるべきものがあるんじゃないかと思う今日この頃です。
Commented by piko4438 at 2006-08-19 21:19
♩mintonさま
其方のコメント読ませて頂いて、体験の無い方でもこれだけ関心持って下さって居ると、心強く思った訳です。
また写真見に参ります。今後ともよろしくお願いします
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