☆あの日あの時
2015年 8月15日  晴 気温31度

節目の終戦70年
あの日 あの時 
夏休みは10日間でしたので 学校に行かねば成らない日でしたが、

8日 姉の死 7日お葬式  11日我が家の焼夷弾による焼失

姉は2度焼かれました  お寺にお礼参りに行き帰ると家は跡かたも無く
母は姉の御骨を探しました   暑い熱い中から不思議に少しのヒビだけで
御骨の壺がそのまますとんと台から落ちた状態で有ったそうで~~


それから3日間今の久留米の聖マリアの傍の畑
其処に野菜を作ってました  横はお墓
何故だか両親は此処には爆弾は落ちないと言って
親子5人野宿をしてました

あの暑いのにお寺から被って来た大布団をやはり被って寝てました
其処は土手上に寝ててもいつの間にか下に寝てました~

私は着物に包んだ姉の御骨を離さず抱えてました

3日目父の弟が 自分の家に来てくれ  近所から
兄さん達は野宿されとるじゃろ  あんたがたが駄目なら
家に来てもろてもよか と云いに来られ自分が困るので
来てくれと云われ叔父の家に行きました

1日目  目の覚めるような白ご飯を頂きました
今日から此処は百姓さんだからお米のご飯が食べられると思いましたよ

でも米を見たのはそれっきり~~~おじさん達がご飯食べられてるのを
見た事もありませんでした

それが15日 朝ピンク  シロ キイロ のビラ  紙切れが空から
降って来ました

誰かが拾って読むと 日本は負けたと書いてあると言うのです
ビラなんかに惑わされない様にと皆それらを見ようとはしませんでした


暫くして天満宮さんで放送があるので聞きに行くようにと町内の方が
云われ 村中の人が境内に集まりました


12時それも後で知りました  誰も時計なんか持ってませんから
天皇陛下の声  放送だと  私には雑音だけしか聞こえず

前の人が日本が負けたと大声で言われたので  負けた?
実感は無かった様に思います

そう言えば朝から Bが来んねとは云ってましたが

父は弟の事で子供たちが可哀想だから 焼け跡に
バラックを建てると私達を連れて帰りました


近所は借家の方々でしたので誰も帰っては来られず 防空壕の中から
出した材木でバラックを建ててくれました
天国です

野宿  肩身の狭い思いをした叔父の家  其処から見ると
精いっぱい背伸びも出来大声で話も出来る~~

贅沢から貧乏は苦しいですが  貧乏から此処は御殿  今は
どん底見ましたので 戦争も無い極楽浄土とは此処でしょうね~~


毎年書き込んでます 初めて来られる方の為
終戦の日の 思い出です 

  体験者の少なくなった今 生きてる限り 
  又思い出す限り  云い伝えて行かねばと思ってます



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by piko4438 | 2015-08-15 17:34 | 忘れまじ(war) | Comments(0)
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