☆ 久留米空襲 昭和20年 8月11日
思い出 
1945 8月 11日

それは
長崎原爆投下3日後 
亡くなった姉をお寺に納めるか、と云う話し合いの結果
不慮の死だったから  まだまだ聞きつけてお参りされる方があろうと
遺骨は家に置いたまま  母 姉 末の妹 従姉と お寺に御礼参りに行ってました

お昼近く グラマンの音  久留米市内方面を見ると
短冊が舞い散るごとく キラキラと輝きながら  ふわふわ(そんな感じでした)
落ちてました

そうしてるうちに お寺の前をで羽釜にお位牌さんを入れ 裸足で 
子供をおんぶして逃げて来られてました

その時までは我が家も焼夷弾で燃えてるとは知らず
暫くはお寺から北の方の竹やぶに逃げてました

騒ぎも収まった処で 5人国道3号経由で帰りました
途中は何の変化も無く明治通り迄来ますと もう~~~
一面何にもない茶色のがれきのみ  母は家に残してきた父と妹を
夕方近くまで探して回りました

これは以前此のブログに書いてますので省略します

今年はお墓参りは誰も行けないだろうと11日午前一人でお参りに行きました
自分の郷が 墓守も居ない状態になろうとは想像してませんでした

お参りも済んだ時サイレンが???
初めて久留米で慰霊祭が有ってる事を知りました

  久留米市小頭町公園

家族には案内が来てたと思いますが 家からの連絡も無く
知りませんでした  此の時金丸小学校(出身校です)が最初に
爆撃を受けたそうです お友達も今何処に如何してるか知るすべもありません

随って  小学校の同窓生 今迄にお会いしたのは二~三人です
戦争とは 思い出までも消してしまいます 逢いたい人にも会えず
居所も解りません  何方が亡くなったかさえも解りません

こう言う悲しい思い出は私達だけで充分です 
後一週間戦争が終結 してたら  私達の人生もこれよりは良かったかも

八月の思い出は 消えることなく 残るのは悲しみのみです


 もしも姉の御礼参りにお寺に行って無かったら
 今此処に私は居たでしょうか

 最初は警戒警報 に驚き  空襲警報に 怯えてましたが
 敵機来襲には空を見上げてました

 でも夜照明弾が落ちたと驚きました
 月の光より明るくなるのですから
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by piko4438 | 2014-08-13 11:33 | 忘れまじ(war)


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