☆水害の思い出

5月4日 水曜日 曇り 黄砂が来てます

今日は勤め初めて2年目に経験した水害です

昭和28年6月25日頃から降り始めた雨が29日頃まで続き
梅雨末期の豪雨となり九州北部の河川流域は河川が氾濫し幾多の水死者も出ました

その時私は日勤で 交換台1番に ついてました
監督台にはひっきりなしにベルが鳴ります

これは消防署と、警察と、局の施設に連動してます

たとえば市内で火災が発生すると誰かが119を掛けますね
そうすると此処にも連絡が入るのです

いわゆる傍受がされるようになってます
それで施設係は、電話回線の保護に向かう訳です

でもその日はなんとなく局全体がざわついてます
運用課はは3階でした

帰りに気が付いたんですが、1階の電池室に水が入って来てました
それで局の入口に土嚢を積んで防止されていました

この電池が濡れたら、電話は通信不能に成ります

此のころの家庭の電話機もそばに箱型の充電器が
有りましたよ、今の方達には想像も出来ないでしょうね

携帯で何処えでも掛けられますしね
でも回線は目に見えなくても有るんですよ

こんな事を書き始めたら到底ゴールデンウイーク中には無理ですから
この時代にタイムスリップして下さい

そんな訳で、我が家えは水の中帰りました
家は床下迄来てたが突然引いたと言ってました

その突然は筑後川の堤防が幾つも切れて低い地帯が
大川となり1度に流れたためです

橋で川を見てた人たちも橋とともに流されたそうです
幾人かは傍のタイヤ会社からタイヤのチューブを投げ入れて
助かったと聞きました

それが今のブリジストンタイヤの事です

一時は我が家にも家を流された方を宿泊させてましたが
やはり一番困った事は飲み水でした

洗濯の水は幸い泉水に沢山ありました(川魚やでしたから)

そんな歴史に残るような水害も今は跡形もなく綺麗に立ち直ってます
東北の方達もきっと時間はかかるでしょうが
思い出話になる日がきっと来ますよ

今日は局と水害を書いてみました

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           久留米駅です向こうが筑後川
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           久留米駅の側 瀬ノ下
追記
     監督台の話です
     1度火災の連絡をたまたま傍に居た私が
     出たら原古賀のどこそこが火事ですと叫んで居られました

     此処は聞くだけで記録だけ残して私は又自分の仕事をし
     帰りましたら、隣が火事でした  まったく自分の住所も
     忘れてたんだと思います~~

  私は外見とっても落ち着いて見えます(自称)
  凄く何処かが欠落てます それは解ってるんですが~~







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  周りの方は部長さん 私は平
  
回線使っての雑談もチエックされて始末書書かされますよ


此処の課は上から  課長 係長 監督 部長です オカシイでしょう

部長さんは1シフトに 1人です

監督さんは座席担当を決められます

年功序列です 古い1番の方は袴履いて見えてました
オーラーが出てました(爆
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by piko4438 | 2011-05-04 17:24 | Comments(0)