☆罹災者に思う!
4月23日 雨のち曇り

久しぶりに雨になりました
私にとっては慈雨でしたが~

今日は罹災したころの事を思い出してます

原発事故現場で、食事も、寝る場所さえも無い過酷な状況の中
其処で働いて居られる方を診察されてるテレビを見ました

遠い昔にタイムスリップしたような錯覚と云うか
その頃の自分の姿が鮮明に思い出されて来ました

あの終戦直後、家も無く、食べ物も、着物も無く
姉は銃撃で亡くなり、雨、露しのぐ所も無く、親子5人

野宿をしてました~此の時は11日~~
終戦は15日です

そしたら伯父さんが、自分の家に来てくれ
近所の人から、兄さん達は焼け出されて困って居られるのに
知らん顔で、何考えとるか、と云われ、

5寸釘打たれるように辛い、ど~ぞ我が家え来て下さいと
と迎えに来られました

伯父はその頃百姓でコメも作ってました
その日は、今も目に浮かびますピカピカの暖かい真っ白いご飯を食べました

次の日はお米を少し頂いて、お粥にして食べました

次の日は伯父さん達は早くご飯を食べてたらしくて
私達は何食べたか記憶はありません


父が帰ろうと言ったのは終戦の日です
もうB29も来んだろうからと焼け跡に帰って来ました
畳の上に休んだのは3日位でした

子供心にどんな畳の上より、焼け跡のバラック小屋が
御殿のようでした

今罹災されて借り家に居られる方の心が、痛いように解ります
子供だけでも、気兼ねなくそうですよね~~

早く落ち着いた生活が出来ますようにしっかり祈ってます

終戦後は電気も点きませんでした、
暖かいご飯も食べれませんでした
家族も姉が亡くなりました、それでもめげずに頑張って来れました

貴女方も私みたいに思い出として残られると思いますが、
あの苦難に勝る苦難は有りません、生きてれば楽しい事がいっぱいです

めげずに頑張って下さい

なんでこんな事思い出したかと云うと
原子炉で働いて居られる方達と、特攻隊とがダブリました

今頃また遠い昔を思い出して涙が止まりません
悲しいです~~

取りとめもない事を書きましたが、罹災された方々が
早く落ち着いた生活に戻れますように願ってます
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by piko4438 | 2011-04-23 13:57 | 忘れまじ(war) | Comments(12)
Commented at 2011-04-23 15:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by piko4438 at 2011-04-23 16:01
鍵様
はじめまして
私は1年生でした
定期試験カーバイトの灯りで勉強しました。お陰さまで
心の肉になってます、またゆっくりお話がしたいですね
アサドラともダブって見てます
Commented by hisako-baaba at 2011-04-23 22:23
同感です。戦災で何もかも失くしても、親戚の世話にはなっていられなかった時代・・・
私は女学校2年なので、疎開しろとは言われず、家も焼けなかったけど、焼け野原の小屋は沢山見たし、結構元気に立ち直る方々を見ました。

あのときよりはちょっとましだけど、でも避難所暮らしがこうも長引くと、辛さが加速するでしょうね。

ましてや、原発と戦ってくれている方々、もっともっと優遇されるべきですね。
Commented by flower314 at 2011-04-23 23:07 x
pikoさん

こんばんは。ご無沙汰ばかりでごめんなさい。

pikoさんの貴重な体験を読ませていただき、ジーンと胸に響きました。
時代は変わっても、辛さは同じなのですね。
普通の幸せが如何にありがたいことなのかを、今感じています。
亡母は長崎で被爆し、私は被爆2世です。でも健康です。
被災地の一日も早い復興を願ってます。

Commented by piko4438 at 2011-04-24 09:39
☆hisako様
同世代を生きて来ましたねと云うより
行きぬいて来ました、あの戦後
は皆さんてんでんばらばら、勝手に生きて下さいと言う感じでした。今みたいに救援が有る訳じゃない

でもづーっと後に焼けのこったデパートで
アメリカのララ物資成るものが販売されてましたよ
何処に有ったのでしょうか?
原発の事を考えると今も昔も根底は変わってない
ような気がします
Commented by piko4438 at 2011-04-24 09:45
☆flower様
こちらこそご無沙汰でした~
もうとっくに過ぎ去った過去ですが・・
折にふれ、思い出されます、そして
枯れてた涙が出て来ます

日本を支配されてる方達にもう少し
うわべだけじゃない日本を熟知して欲しいです
原爆は反対でも電気は欲しい
これは私達も考える時期が来てるようです
人間を粗末にする、何時か付けが廻って来ますよ
Commented by usaginotubuyaki at 2011-04-25 00:16
こんばんは。

pikoさんの 波乱に満ちた人生を眼にして・・・・

大変な思いされたんですね!
私は少し年下なんで終戦後の事は良く解りませんが

今の事態が 1日でも早い復興を願います。
Commented by Vavi at 2011-04-25 02:15 x
あんな津波に襲われたら、うちなんか一たまりもありません。
海岸から500mしか離れていませんから。

九州新幹線が出来たから、鳥栖までアッと言う間に着いてしまうとよ。
Commented by piko4438 at 2011-04-25 09:10
☆usaginotubuyaki様
介護も一緒で心では解ってるつもりでも
人それぞれ、当事者でないと解らない事が
いっぱいです、
一人一人に心に寄り添ってくれとは言いませんが
もう少し、上に立つ方解らないでしょうか?
こちらがいら立って来ます
でも次の災害が来ると忘れ去られるのです
今朝は家畜の処分に涙が出ました~
Commented by piko4438 at 2011-04-25 09:13
☆vavi殿
元気でしたか、何度か覗いてましたが
気の優しい貴方が落ち込まれて
なかなか立ち直れませんでしたね~
家は彼が肺炎になり一時はどうなるかと思いましたが
元気になってます
今日も午後デイトに行きますよ~
もし彼が退院出来たら新幹線に乗りに行きます
Commented by キク at 2011-04-26 14:03 x
九州新幹線いいね。でも、終戦後の事、まだ、通じる人たちが居るということて)では、ちょっと、安心、なんだかわからないけど、叔父さんのことは、お世話になったことは知らない怖い、人だとは記憶にある あそこに寝泊りしたんだ、私は、下の家にばっかりいってました。
貴女のブロ友も、結構な年代で凄いですね(パソできるなんで)母親の悪口ばっかり言ってた人、父親の妹でしょう。ブログでこんなことかくの可笑しいね。
Commented by piko4438 at 2011-04-26 17:22
☆キク様
下に入ってたので気が付かずごめんなさい
下の家が此処ですよアヤちゃんのじいちゃんです
上の家が一人娘(父親の妹)のおばさんです。此処に
焼ける前までは夜だけ泊りに行ってましたよ
父以外母親と4人です そこが小姑の家です
ほんとブログに書いて皆さん見てるよ(大笑い
伯母さん空から苦笑してるでしょうね・・
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