☆8月15日

12時2人でテレビに向かって黙とう・・・
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8日~15日まで
一生で一番長くて、如何過ごしたか、今日は何日か 心も体も自制心がなく
流れに、漂ってた気分です

今にして思えば、いろいろの情報でそうだったかなと思うんですが
私自身はどう思って、どう行動したか、まったく記憶が無いのです

ただ焼け跡に、小屋建てて、住んでた時、そばを缶ビール飲みながら
通って行った進駐軍(その時はそう呼んでました)の記憶は

怖いのと、近所のおじさんが、カクレロ!といった言葉が今も記憶に残ってます
後にその駐留軍の電話交換をするとは夢にも思ってませんでいた

昨日の新聞に
お母様が裁縫箱にお米を詰めて婚家先に、送り出された
話が乗ってました

私と同じ針箱です・・結婚準備に母が用意した針箱と絎け台
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これで1か月位食事が出来たそうです

幸い私は食料も落ち着いてましたので一応針と糸は持って来ました
この糸は国防色と言って軍から罹災者に配給があった糸です

多分軍服を縫われてたんだと思います
今でも手では切れないくらいとっても強い糸です

私達は曲がりなりにも3度の食事が出来てます
その頃食事もままならず亡くなられた方、これも戦争犠牲者ですよね

一握りの人のため犠牲になるのは私達、市民です
戦争を絶対しない人を選びましょうね
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Commented by mintohanakikyo at 2009-08-15 14:51 x
、今戦争の映画をテレビで見ています。
今ま、見るのを避けていました。で
夫が見ているので私も見る
正直、余り見たくないです。

戦争は、絶対に 駄目!
Commented by 美夕のママ at 2009-08-16 00:09 x
私も12時に黙とうをしました。
天皇陛下、皇后陛下の、公務を大切になさっている姿に頭が下がります。
戦争は絶対に反対です。
でも攻撃されたらどうしたらいいでしょうか?
Commented by piko4438 at 2009-08-16 08:49
☆mintoさま
私は戦争映画は駄目です
昔は風とともに去りぬとか・・戦争関連の映画良く見てましたが
日本の映画は何だか見れません
甥や叔父たちがかぶって見れません
それに将校達の威張る姿には、今のいじめと重なって
見てて腹が立ってきます・・・物事を外から見れないのです
此れも後遺症かも・・・
Commented by piko4438 at 2009-08-16 08:55
☆美夕のままさま
天皇家も後始末に大変でしょうね
一握りの軍の圧力にフリマワサレられた
のではないでしょうか?とに角国民は何も知らされてない
と言う事が恐ろしい事です、
敗戦の放送も聴きましたよ、思わず涙が出ましたが
大人たちのがっくりした、顔とホットした顔が、
その時は何だか解りませんでした。
武器を持たねば、攻撃も受けないでしょう・・
Commented by yoko at 2009-08-16 10:41 x
8月15日の日を母は、よく「やっと平和になりお米が食べれると思った」と言っていました。

お米えをお国に差し出すので、農家の人の口には入らず、お芋やかぼちゃを食べていたと、遠くを見ながら話します。

母は、結婚する時も何も持たして貰わずに、結婚したそうです。
だから、母親がしてくれたと云う思い出がないといいます。

64回目の終戦記念日、改めて思いますが、最近に終わったんですね。
どこの国でも、絶対に戦争はしてほしくないです。
今、戦争をしている国も止めてほしいです。
巻き添えになるのは、一般市民ですから・・・


Commented by flower314 at 2009-08-16 22:51 x
戦争は知りませんが、怖いです。

コンビニの時間切れの食材を捨てる現代・・・
64年前にその食材があったら、どれだけの人が生き延びられたことか・・
フト 考えてしまいます。
今の平和に感謝しつつも、犠牲になられた方のご冥福をお祈りしたいです。
Commented by ひーちゃん at 2009-08-16 23:05 x
終戦の日の前日だから忘れんと
初孫の誕生日( 私の息子ですが)をずっと覚えてくれていた父でした
畑で作った野菜や花を持って毎日 お寺参りをしていた祖母
息子(父の弟)の戦死という悲しみを背負っていたからと
大人になって知りました
相棒の一つ違いの妹は満州で逃げる時
赤痢で死にました
こんな話をいつか息子たちにしてやらなくてはいけませんね
Commented by piko4438 at 2009-08-17 09:55
☆yokoさま
私の結婚の頃は少し生活は落ち着いてましたが
家を焼かれて、1から出直した両親の苦労は、今思うと
大変だったろうと思います、まして女ばかしの姉妹
です嫁入り支度も大変だったと思いますよ、着物、道具と
お琴まで持って来ましたが、住む家は当分間借りが続きました
でもそれも今有る為の、試練だったでしょうね、
平和、こんな言葉も知らず逝った人々に合掌です
Commented by piko4438 at 2009-08-17 10:03
☆flowerさま
戦争を知らない、当たり前の事ですけど・・・
私は生まれた時から戦争の時代でした
もちろん学校教育も、日本が正しい事をしてると云う事を
教え込まれました、戦後先生から済まなかったと言われましたよ
その先生も、決まってた御主人を亡くされ、
今も一人で暮しておられます。
戦争体験のされた方が少なくなって来てます、この方々の
犠牲のお陰で、今の平和が有ると云う事を、後世まで
伝えたいです
Commented by piko4438 at 2009-08-17 10:12
☆ひーちゃん
皆それぞれに戦争を引きずってますね
私の2年生の時の先生も外地に先生として赴任されました
日本が勝ってる時の話です。
その頃は開拓団として、満洲に沢山行かれてました。
叔父も満州で仕立て屋として行ってました
見知らぬ従妹が終戦で我が家に来た時はびっくりでしたよ
男の姿でした、何より私と同じ名前には驚きましたが
もちろん父の弟ですから姓も同じです・・・
Commented by jirokaki at 2009-08-18 21:49
遅ればせながら・・・。

昨晩の地震にびっくりしましたが・・そちらは大丈夫でした?


さて、8月は我が国にとっては「戦争と平和」を考えさせられる
月ですよね。

幼少のころアニメ「はだしのゲン」を見て、衝撃を受け、
夜には恐ろしい夢まで見て、母親の枕元へ逃げ込んだ事です。


ウチの旦那の両親は戦争孤児です。

舅の父はボルネオで、姑の父も外国で戦死してます。
先日、お寺へ戦没者だけがまつられているお堂へお参りに行きました。

やっぱり、戦争は嫌です。意味がありません。意味もなく人が死んでいくのはいけない。

戦争からは何も生まれません。終戦から64年。

もう、語り部の方も高齢化しています。私たちの世代が、これから先伝えて行かないといけないですね・・・。
Commented by piko4438 at 2009-08-19 09:06
☆jirokakiちゃ~ん
思わず鳥肌になりました、若い方からこのようなコメント
頂き書いて良かったと思いましたよ

当事者ではなくても戦争の愚かさが伝わって行く事が
今1番大事と思います、私達のような経験をさせないで
下さいと、拙い文ですが、心だけは残して行きたいと
思ってます。

心のバトン、確かにお渡ししました、次の世代に
引き継いで下さい。アリガトウ!
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by piko4438 | 2009-08-15 14:29 | 忘れまじ(war) | Comments(12)